本書はショーペンハウアーの主著『意志と表象としての世界(正編)』の第三巻に相当する(第四巻の一部も含まれる)。「表象としての世界の第二考察」は芸術論であり、ショーペンハウアー哲学の最も個性的な側面といえよう。
世界は私の表象に過ぎず、その表象を認識させている知性は意志の奴隷に過ぎない。しかしこの知性が異常に発達した人間、すなわち天才においては、例外的に知性が意志の支配から脱却することがある。そのとき知性は世界を客観的に映す明澄な鏡となる。かかる過程を経て生産されたものが芸術作品であり、天才の業である。
ショーペンハウアーの芸術至上主義が遺憾なく発揮されている本書では、空間のみを形式とした建築、時間のみを形式とした音楽、その他ありとあらゆる芸術(彫刻、絵画、詩、等々)が俎上に載せられる。だがショーペンハウアーが最も高く評価するのは音楽である。音楽こそは、時間以外のあらゆる狭窄物を取り去った、生のままの意志に最も近い芸術様式であるという。
「意志」から解放された客観的な世界の認識にショーペンハウアーが肯定的な価値を付与するのは、やはりそこにプラトン的なイデアの把握を見て取っているためであろう。「意味」を剥奪された「物自体」の認識については、例えば漱石が「発狂」「自殺」「宗教」の三つの可能性しか認めなかったり、あるいはサルトルが『嘔吐』を書いたりといったように、むしろ否定的な解釈が多いことを考え合わせると興味深い。
ショーペンハウアー哲学がアカデミズムの世界よりもワーグナーやトルストイ、トーマス・マンなどといった芸術家たちによって高く評価されたのも、この芸術論があってこそであろう。第一巻・第二巻とは隔絶した明朗な哲学世界に、読者は魅了されるに違いない。