ニーチェに影響を与えた実存主義哲学者として、ヘーゲルと犬猿の仲だった在野哲学者として、数々のアフォリズムを残した厭世哲学者として、間接的に名前だけは知られているショーペンハウアーを、直接読もうとする読者があまりにも少ないのが残念で仕方が無い。これほど分かりやすく、面白く、魅力的な哲学者は滅多にいないというのに。
ドイツ本国でさえ発売当時見向きもされなかった『意志と表象としての世界(正篇)』の難点は、ショーペンハウアー哲学の独創性が遺憾なく発揮されている第三巻と第四巻が、その前置きに過ぎない第一巻と第二巻の背後に隠れている点であろう。その第一巻と第二巻が収められた本書は、ショーペンハウアー哲学の理解にとって避けては通れない鬼門であるとは言える。
しかしながら内容は決して難解でも退屈でもない。「世界は私の表象である」の一文で幕を開ける第一巻「表象としての世界の第一考察」は、その名のとおりわれわれが認識している世界の哲学的分析に終始している。第二巻「意志としての世界の第一考察」で論じられる「意志」は、ショーペンハウアー哲学最大のキーワードであろう。それを「神」の言い換えに過ぎないと断ずる評者もいるようだが、時間・空間・因果性によってフォーマットされる以前の世界をあえて「意志」と名づけた辺りは、感情によって世界が形成される実存主義哲学の先駆ともいえ興味深い。
『意志と表象としての世界(正篇)』はショーペンハウアーの主著であり、邦訳はほかに白水社の全集版と理想社版があるが、入手のしやすさと分かりやすさでは西尾幹二訳の本書が群を抜いている。このまま忘れ去られてしまうのはあまりにも惜しい、特に若い読者に読んでもらいたい古典的名著であり名訳である。