かねてよりその題名を知っており、気になっていた本だった。
読んでみて、題名通りの内容、即ちお経は漢文で書かれたものであるがそれを皆さんは理解しているのか、お経は日本語に訳して読んでこそそのありがたさや奥深さが分かってくるのではないか、ということが書かれており、感じ入る事が多かった。
その本文に入る前にまず惹かれたのは、著者の生い立ちである。古刹の跡取りでありながら一時は仏門に入る事を厭うたとのことである。それは自らの家庭の話であるとの断りのもとで、僧侶である祖父と父の本堂での態度と庫裡における家族の生き様に建前と本音の乖離を感じて欺瞞を抱いたからであった。しかし、その著者の思いとは裏腹に周りの環境に押されるままに僧侶にならざるを得ない事に悩んでいた時に出会った本に触発され、その著者に大阪から福井まで会いに行って話を聞いたことが僧侶を志す転機になったという。この記述には読んでいて感銘を受けるものがあったし、こういう人の言う事ならと、先を読む進む気にもなった。
本文には、まさに題名が表すごとく、漢文表記のお経を著者が意訳してくれたものが記述される。なるほどこういうことを言っているのかと目から鱗の解釈もあり、薄々と意味を感じていた経文がはっきりと分かったりして知的好奇心をくすぐるのであった。
この本はお経に対する啓蒙の書である。分かりやすく簡潔に書いてある。私はこれに啓発されて幾つか読みたいと思う本を見つけたものである。今度は私の宗派に関する日本語訳を読む積もりである。このように啓発してくれたこの本を読んでよかったと思っている。