意味論の本でもなければ論理学の本でもありません。
ドゥルーズの博士学位論文『
差異と反復〈上〉 (河出文庫)』と同じ1968年に発表された、主要著書の一つです。
『差異と反復』と本書は同じく「プラトニスムの転倒」というニーチェの課題をモチーフにしています。前者がこの世界を本源のないシミュラクル(見せかけ)の移り変わる過程として捉え、差異哲学の世界観を打ちたてようとする試みであったのに対し、本書はプラトニスムとならんでヘレニズム哲学の雄であったストア派の思想に依拠し、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』などのナンセンス文学を素材としながら、パラドックスをパラドックスとして扱う論理学の試みであるといえます。
ストア派の特徴は徹底した唯物論にもとづく独特の形而上学。この世界を構成する要素を「物体」と「出来事」に分け、前者は「深層」で物体どうしまみれあっているが、後者は「表層」に投影されてシミュラクルとしての形姿を作る。ドゥルーズはこの枠組みをラカンやメラニー・クラインの精神分析に適用して、単なる雑音が声となり、言葉となり、意味を持つようになる、言語(ロゴス)の発生過程を分析します。ドゥルーズが目指すのは、いわば唯物論的な論理学であるといえるでしょう。
彼の考えによれば、この世界を構成するいくつものセリーは収束するものもあれば発散するものもある。発散するとは、ちぐはぐになって互いに整合しないことをいいます。彼は発散するセリーを総合する方法を考えます。その形の一つが『アリス』に出てくる「かばん語」。「スナーク」(shark + snake)のように一つの実体に収まらない相矛盾した意味の語を組み合わせて作る言葉の遊びですが、ドゥルーズはこれを、弟子にパラドクシカルな問題を与えて論理以前の世界を悟らせようとする禅の公案と同じものである位置づけます。一つに収まりきらないものを一つに収めようとする論理学、この考え方がガタリとの共同作業の中で「リゾーム」の概念へと発展していきます。
ドゥルーズが本書と『差異と反復』でどのような世界を理想としていたのかがうっすら見えてきます。それはファシズムやスターリン主義的な父性による「良識」の強制(オイディプス)ではなく、絶対的に対立する敵同士を含みこみ、ハチャメチャで不道徳で、ハレンチですらありながら、それでもなお一つに統合できる社会なのです。五月革命の熱気を感じます。
本書はあまりに地味な表題、独特の難解さが災いしてか、あまり話題を呼ぶことがなく、『差異と反復』から『アンチ・オイディプス』までの過渡的作品と考えられがちです。しかし独立した思想的メッセージを持った本であることはまちがいありません。
第26セリー以降に詳述される「動的発生」はいわばドゥルーズの精神発生論。ドゥルーズ/ガタリの理解のためには必須といえます。
決して読みやすい本ではありませんが、翻訳のせいではありません。
ルイス・キャロルはあらかじめ読んでおくことをお勧めします(できれば原文で)。それから「ストイック」といえば「やせ我慢」ということしか思い浮かばない人は、ストア派について概説書を読んでおいたほうがいいでしょう。