「いまの日本人に大切なのは『情』ではないか」という書き出しで始まる当書は、全百題の随感で構成され、「五木寛之こころの新書」シリーズの2冊目となる。同書のタイトルは「情の力」であるが、この「情」というものを一言で表すならば、それは「こころ」であり、そして、「情」とは“人間の湿り気”のようなものであるとする。従って、「情が欠ける」ということは、「すなわちこころが乾いてひからびている」(本書)ということになろう。
五木氏は、「いろいろなものが『湿式』から『乾式』へ、ウェットからドライへと転換してきたのが戦後の歴史」(同)と振り返る。それは「まるで濡れタオルにドライヤーの風を当てるようにして、こころと社会を乾かしてきた」(同)のであり、その結果、現代は「こころの砂漠化」、「こころのデジタル化」(仏教のこころ)が進行、蔓延しているとする。さらに、「こころ」が砂漠化する、ということは、自他の「いのち」の軽視につながっていく。
なぜなら、「いのち」は「こころ」が支えているからだ。その「いのち」が軽い、ということは、前述した「こころの乾き」に由来している。まさに「乾いたもの軽い。湿度をおびたものは重さがある」(仏教のこころ)からだ。五木氏は、昨今の「こころの砂漠化」を憂い、この「湿度」の大切さを説き、「湿り気を帯びた人間のこころ」(本書)の回復を、「乾燥しきったこころの荒野に、清冽なオアシスの水を注ぐこと」(仏教のこころ)を願うのである。