「生きるということは、今生きている、という事実だけをいうのだろうか。 生きて死ぬことの先にあるものは、誰かの記憶の中に生き続けるということではないのか。」(『
茨の木』)
あんなに泣いたのに、それでも逝ってしまった大事な人々をふと忘れたりして、罪悪感に苛まれることがある。苦しくはちきれんばかりまで膨らんだそんな罪悪感に追われるように、主人公静人は悼む旅を続ける。
余命を宣告された者、愛する者を殺めた者、そして他人の死を生活の糧とする者。彼らが、他人の生を心に刻み続ける静人の足跡を追うように、死と向き合うことで生きることの素晴らしさを見出す。
逝きし人々が心の中で生き続けるという理想を綺麗にまとめた作品ではない。その理想に伴う葛藤が、その理想に対する疑念が、その実現に対する妥協の想いが素直に描かれる。自己満足を自己満足と断じ、偽善を偽善と斬るところにこそ深く考えさせられるものがあった。
理想には理想たる所以がある。それを真剣に追うということは、その全てを手に入れようとすることではなく、削り削って本当に譲れないものだけを研ぎ澄ますことなのだろう。そんな行為の積み重ねこそが「懸命に生きる」ということなのだと問うているようでもあった。