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悲鳴をあげる身体 (PHP新書)
 
 

悲鳴をあげる身体 (PHP新書) [新書]

鷲田 清一
5つ星のうち 4.0  レビューをすべて見る (4件のカスタマーレビュー)
価格: ¥ 690 通常配送無料 詳細
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商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)

ピアシング、拒食・過食、あるいは性。本来なら、ひとを癒し快くする行為が、身体への攻撃として現象している今。わたしたちは、なにか身体に深く浸透しているはずの「智恵」と「想像力」を失いつつあるのではないか。医療システムを通してしか関与できない非人称の身体と、フィットネスなどによって完璧に支配されるプライヴェイトな身体。引き裂かれた身体の状況をさまざまな角度から論じながら、他者との関わりにおいてこそはじめて存在する「身体」の本質について考える。

内容(「MARC」データベースより)

拒食・過食、性など本来なら人を癒し快くする行為が、身体への攻撃として現象している。この身体の状況をさまざまな角度から論じ、他者との関わりにおいてこそはじめて存在する身体の本質について考える。〈ソフトカバー〉

登録情報

  • 新書: 201ページ
  • 出版社: PHP研究所 (1998/10)
  • ISBN-10: 4569603092
  • ISBN-13: 978-4569603094
  • 発売日: 1998/10
  • 商品の寸法: 17.2 x 10.6 x 1.2 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.0  レビューをすべて見る (4件のカスタマーレビュー)
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By Dolly the Cat トップ50レビュアー
形式:新書
 とりわけ自分の身体となんらかの葛藤状態にある場合、この本は快復への手掛かりになるのではないかと感じた。
 現代では食べ物は勿論、高度医療システムの発達で、人間の死や身体の一部分までモノ化されていることを、ひとはいつのまにか受容しつつも、「自由な個人の前提たる所有への欲望」だけはを肥大化させ、その対象には自分の身体も含まれる。
 そこで人は、ある種の理想に向けて身体を解釈・分析し、ピアッシングや過食・拒食、危険な性行為、そして究極的には自殺という形で攻撃しているのだ、と本書は述べている。
 解決策としては、身体に「ゆるみ」「すきま」、つまり「あそび」を取り戻すことが提案されているが、コンピュータに君臨されている現代では、困難に思われる。とはいえ、現代人は悲鳴をあげるほど自分の身体を攻撃しているのだ、と気づくことには深い意味がある。
 つどつど不満や絶望を慰撫してくれる言葉に出会った。これがロングセラーの理由だろうか。
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6 人中、5人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
By 倒錯委員長 トップ500レビュアー
形式:新書
これまでにないほどに、現代では男も女もおのれの身体に対してセンシティブになっている。肉
体改造の方法、いわば自分の「身体への自由」は拡大を続けている。だが本当にそうだろうか。
一方で、拒食症や過食症、そのほかの身体の「悲鳴」の音量も大きくなっていないか。本書は現
象学、身体論の大家であるフランスの思想家メルロ・ポンティの研究者である鷲田清一の身体論。
著者は説く、我々は身体を思い通りにあつかおうとすればするほど、身体はわれわれから離れて
いくのではないか。

身体が「わたし」に帰属するもの(=body)であるという所有の論理による解釈は、ジョン・ロック
などの西洋由来の思想によるところが大きい。だが、はたして「わたし」は「身体」は所有できて
いるのか。所有という一方通行の関係性で「わたし」と「身体」は語りつくせるのか、そのことを鷲
田氏はいろいろなアングルから、変奏的になんども問いかける。そもそも「わたし」とは何なのか、
「わたし」と「身体」は可分なのか、そこまで原理的につきつめていく。

その思索の過程で氏は、存在と所有、その二項のどちらにも偏らない様態に「わたし」と「身体」を
位置づける。明確に輪郭を形作る一個の個体としてではない、他人の「身体」と感応しながら育ま
れていく身体像、過敏に痙攣し続けるでもなく鈍麻に弛緩を続けるでもない、そんな他者へ開かれ
た身体観に氏は読者をいざなう。

氏の文章はいつも、独特のらせん状を描きながら進んでいく。慣れていない人は煩わしいだろうし、
せっかちな人は早く結論を述べろよ気色ばむかもしれない。ただ、「わたし」のあり方、「身体」のあり
方を決めないということに帰結したこの論自体が、なんらかの結論を固めることは、矛盾している。こ
の本は「わたし」と「身体」にまつわる問題の始まりであっても結論ではない。この本をきっかけに読
者それぞれの中で思索が始まればいいのではないだろうか。
このレビューは参考になりましたか?
38 人中、23人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
形式:新書
近代的自我に基づく所有観念が、所謂消費する主体としての身体を生み出し、近代人は自然や他者との関係を喪失し阻害されているという著者の議論はそれ自体目新しいものではない。このような時代の到来はマックス・ウェーバーやハイデッガー、さらにはニーチェなどが100年もの昔に予想したことであった。わが国でも、丸山圭三郎や吉本隆明が各々「言わけ構造」や「指示表出」言った言葉で同様の概念を述べているし、最近ではその議論の立て方に若干の問題はあるものの養老孟司が「バカの壁」などで似たような議論を展開している。今後、我々に残された道は、国家や制度、もしくは市場に管理された身体ではなく、他者との関係の中に成り立つ間身体性をいかに回復するかである、と著者は説く。

 著者の言うことはいちいちもっともであるが、今後共同体が益々弛緩し、家族が益々崩壊の一途をたどるなか、反動的な道徳的身体論への回帰だけは何としても避けねばならない。その意味で、著者の主張する「ゆるみ」「すきま」「遊び」などの復権はひとつの方向性を示してはいるものの、全体として「失われたもの」への回帰を志向する趣が強く、現状を踏まえた未来への積極的提言というところまでにはいたっていない。

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