本作品は、多少の歴史的知識が必要だろう。私達が、台湾人と呼ぶ人たちは、厳密には、三百年から四百年に大陸からが移民してきた人たちである(本省人)。それに対し、国共内戦後、国民党とともに台湾に逃れた約二百万人を外省人と呼ぶのである。当初、台湾人たちは大陸からやってきた同胞が植民地支配から開放してくれたと思っていた。しかし、外省人が台湾の地で支配者としてふるまうのである。当然、対立の図式が出来上がってしまう。それが2.28事件へと進展してしまったのである。
しかし支配者である外省人の大半は下級兵士とその家族である。決して生活は楽ではなかった。望郷の念にかられる人も多かった。侯孝賢監督は、広東省生まれで、幼い頃台湾に渡ってきた外省人である。
外省人である彼が、どうして台湾人の視点で、この映画を撮ることが出来たのであろうか。それは侯孝賢の作品の変遷で見ることが出来る。
1985年の「童年往事」。これは彼の自伝的作品で、故郷を持たない外省人の孤独感や淋しさ、そのような環境の中で、不安定な少年の心理や行動を美しく描いたものである。
しかし彼は、台湾を故郷とする決心をする。これは当然かもしれない。記憶にない大陸にどれほどの愛着をもてるのか。
1987年の「恋恋風塵」。美しい台湾の風景、人々を愛情をこめて、愛着を持って撮られている。これは、台湾人という新たな視点で、社会を見ていることに他ならない。そして、この作品「悲情城市」につながるのだ。
社会性を問う作品は、否が応でも歴史的事実をかかわりを持たなくてはならない。しかし、彼は決して2.28事件を描こうとしたのではない。正面から取り組めば、悲惨さしか強調できないであろう。基隆に住む一家の生活と新しい国の実現を夢見た若者達の行動を当時の出来事に絡めて描いたに過ぎない。そして、その結果、新たな台湾人の悲しみが…………。
台湾人の悲しみは、トニー・レオンの憂いに満ちた目に見事に集約されている。
私の台湾人の友人に(1966年生・男性)映画の感想を聞いたことがある。
「考えさせられる内容であるが、平素は見たくない。何かの記念日に襟を正して見るもの。(冗談めかして)でも、若い人はみんな寝てしまうかもしれませんよ」
彼の言葉の中には、現在の台湾社会の変化が集約されていると思う。しかしこの記念碑的作品が、デジタル化され、永久保存が出来るのを喜んでいるのは、私と友人だけではないだろう。