昨年2010年は初代團十郎生誕350年。そこで書かれた團十郎家の歴史がこの本。
初代誕生(推定年1660年)から、2010年12月の当代と海老蔵までの歴史が物語風に展開される。
この著者の従来の執筆に比べると、少し取りつきが悪い。
いつもなら、のっけからドラマが展開するのだが、今回は初代のルーツに関する諸説の文献解説から始まるからだろう。
断然面白くなるのは、四代目(襲名1754年)あたりから。
この時代は落語の『中村仲蔵』や『淀五郎』でもお馴染み。
初代仲蔵や、名優・初代市川團蔵が活躍する時代。
團十郎と團蔵とのデッドヒート、さらに松本幸四郎、市川八百蔵、瀬川菊之丞(王子路考)らと、『役者評判記』の位置付けを競う。「大極上々吉」「極上々吉」「上々吉」…。
上方から東に下った中村歌右衛門や尾上菊五郎が登場するのもこの時代。
これらの役者と競いあいながら、四代目は市川一門のみならず、歌舞伎役者全体の「親方」の座をゆるぎないものにしていく。なるほど、なるほど。
この本の帯には【「至芸」の陰にスキャンダルあり】とか、【傲慢さこそ「團十郎」】とか、賑々しい。
その言葉にとらわれ過ぎると、面白さを逃す。
五代目の家訓「…皆々目の下に見下し、蟲のように思うがよし」にこだわっていると、
その前段の「おれさえ出れば見物嬉しがるという心がよし」を見失う。
初代が襲名した時代以降、「役者評判記」も隆盛で、ご見物によって芝居が育てられていった。
客が入らなければ興行は打ち切りになるし、客が押し寄せれば興行は何か月も続く。
ご見物の支持のもとに、芝居はその時代の嗜好をとりいれながら、江戸の街に息づいていった。
こういう歴史も、この本は伝える。
では、競い合う劇界にあって、なぜ市川宗家が必要とされたのか、考えつつ読んだ。
いや、江戸の歌舞伎は市川團十郎家が存続したことで、盤石だったといえるかもしれない。
二代目は17歳、三代目15歳、四代目44歳、五代目30歳、六代目14歳…で團十郎襲名。
若くても、襲名から数年後には座頭に。
座頭の位置は厳しい。ライバルと競い、あるいはご見物に叩かれ、打ちのめされる。
時には刺殺され、時には自殺へと追い込まれる。
それでも市川宗家は存続し続ける。
つぶれない宗家の権威があったからこそ、芸が競え、芝居が残ったのかもしれない。
観客よりも、年功序列に基づく大幹部の意向が強く感じられる、昨今の歌舞伎興行。
「海老蔵はもっと謙虚に」なんて言葉の大合唱。
なに言ってやんでェ。謙虚に、なんて言う人ほど謙虚じゃない。秩序を守りたいだけ。
海老蔵は非凡なのだ。大宇宙、あるいは森羅万象の神々に対してのみ謙虚であればいい。
そんなことを想いながら、読み終わった。