人生において必要なすべての要素が含まれると言われる「カラマーゾフの兄弟」は,あらゆる人に受け入れられるドストエフスキーの最高傑作だと言えましょうが,「悪霊」は,登場する人物すべてがとことん戯画化され,カーニバル的狂騒における各人の会話に翻弄されてしまうところがあり万人にお勧めできる作品ではないかも知れません。しかしながら,読み進めていくうちに,その戯画化された登場人物たちの内包する恐ろしさや心の闇がジワジワと染みいってくる奥深い作品だと言えるかも知れません。
作品の冒頭に置かれた「悪霊どもはその人から出て,豚の中に入った。豚の群れは崖を下って湖になだれ込み溺れ死んだ」という「ルカによる福音書」の意味は,第3巻まで読み進めると分かってきますが,第1巻においては,まだその予兆の段階です。
物語はゆっくりとしたペースで語り始められますので,ひょっとしたら退屈になって読み止めてしまう人もいるかも知れません。しかし1巻後半あたりから俄然面白くなってきます。2巻における「スタブローギンの告白」での衝撃を,そして3巻では読み止めることが出来ない疾走感を味わうことが出来ます。そして,誰がなぜ殺人を犯し,誰がなぜ死ななければならなかったのか,すべてを読み終えた後に再び第1部「序に代えて」に戻ると,最初退屈だと思われた前半部分がぐっと面白く感じられるようになっています。
本作品において私が最も好きな場面は第3巻シャートフの妻の出産シーンです。本作品における最も希望に満ちあふれた場面です。それだけにその後の展開がとてつもなく恐ろしい。是非とも3巻まで読み通してください。
本書の構成について。
以前読んだ新潮文庫版では「スタブローギンの告白」の章が巻末の付録として収録されており,ラストのスタブローギンの行為が非常に唐突な感じを受けた記憶があります。本書では,第2部の本編に収録されており
「世間の人々の憎悪が自らの憎悪を掻き立てる。こちらも憎悪した方が,彼らから憐れみをかけられるより気が休まる。ぼくがそう願うのは謙虚な気持ちで耐えていたいからなんです」「ぼくは無限に苦しみをもとめているんです」
というスタブローギンの告白が,
第3部リザヴェータに対する
「ぼくを苦しめてくれ,ぼくを罰してくれ,ぼくに憎しみをぶつけてくれ」
という叫びになり,その自然な流れとしてラストシーンに繋がっており,この構成を選択したことは正解だと思われます。