キャリアもスキルもコネも色気もない(失礼)女の子が、高嶺の花の厳しい業界で、逆境にめげず、壁にぶちあたりながらも成長していくサクセス・ストーリー。
今や、ハリウッドではすっかり定番化された感のある手だれたプロット。ト―ゼン、観る側もその結末を確信しつつ、そこに行き着くまでの展開を楽しむ事になる訳で、作り手としては、その部分に於いて、いかに知恵を絞り、観る側に興味を惹かせつつ、共感させたり、泣き笑いさせながら、物語を構築させる事が出来るのかがポイントとなる。
で、まず考えるのが、ヒロインを愛すべきキャラ像にする事。
次に、彼女の恋愛相手を登場させる事。ラブ・コメディ的なテイストはこの種の映画には必要不可欠だからね。でも、その際肝心なのは、だからと言って、ロマンスをドラマの主軸には決して持っていかない事。飽くまで、盛り上げるべきは、彼女の仕事上の成功について、でなければならないから。
次に、彼女の周辺に個性的なキャラを散りばめる事。彼らには、コメディ・リリーフとしての役割を担ってもらう。
そして、最後に、彼女と対峙する強烈な敵役的存在を持ってくる事。彼女にとっては行く手にそびえたつ強靭な対象となるが、それを彼女がはねのけ、乗り越える事で、両者には一種の親密感が生まれるのが望ましい。例えば、そう、「プラダを着た悪魔」のメリル・ストリープのような。
以上、今作のプロデューサーや監督、脚本家たちがケンケンガクガクと議論を重ねた中身で小耳に挟んだお話を記してみた。なんて事はもちろんないのだが、でも、いかにも作り手の思惑が手に取るように分かる映画(笑)。
タイトルにもじって映画の裏事情、そして、現在のハリウッド映画の企画の貧困さについて少し触れてみたが、でも、この映画、決して悪い出来ではない。
レイチェル・マクアダムスは、今までのクラシカルで女性らしさとうちに秘めた情熱的な役柄から一転情緒不安定でドジだががむしゃらなヒロインを、時にパンティ姿で太股剥き出しつつ頑張っているし、ダイアン・キートンも、着ぐるみ姿で相撲を取ったり、蛙とディープな接吻をしたりと、オスカー女優をかなぐり捨ててのノリノリ演技(笑)。
そして、ハリソン・フォード!彼が演じるのは、かっての行動派ジャーナリスト、名アンカーマンで鳴らしながら、今や尊大にして横柄、この世の中で3番目のクソったれと同僚たちから罵られる無愛想なキャスター。
まるで、今までの彼のスクリーン上のヒーローたちのセルフ・パロディみたいな役柄だが、これが、意外とサマになっていてオカシイ。こんなフォード、見た事ない(笑)。アメリカでは、かなり受けたんじゃないだろうか。
なんか、自分自身も、この映画の作り手たちの“策略”にどうやらハマってしまったみたいだな(笑)。