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9 人中、6人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
「性」から人間の本質に迫る,
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レビュー対象商品: 性欲の文化史 1 (講談社選書メチエ) (単行本)
インパクトのあるタイトルで、気にはなっていたが、このたび腰をすえて機会を得て読んでみたが、もっと早く読むべきであったといささか後悔した。隠そうが恥ずかしかろうが、人間の本質は本質である。歴史や世の中を動かしてきたのは「性」に他ならない。タブーをもうけず、知的探究心でずばずばと議論する論文集である。テーマや研究対象は多岐にわたり、一言でまとめるのは難しいが、とにかく刺激的な資料や議論、知見に満ちている。 漠然と我々が抱いていた常識も大きく書き換える知的冒険の試みだ。タイトルだけで毛嫌いせずにぜひ。
5 人中、3人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 2.0
期待はずれ,
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レビュー対象商品: 性欲の文化史 1 (講談社選書メチエ) (単行本)
レビューを見て期待して買ったが、期待していたものとは言い難い。論考集ゆえ仕方がないかもしれないがこの著書で初めて知った」というものがほとんど無いのが残念である。 確かに着眼点はいいが、後半の三論文以外ほとんどが「そこからをもう少し深く掘り下げて欲しいのだ」という不満を感じる。 時代も地域も縦横無尽に論じ尽くす、珠玉の論考集 というのは誇大にすぎるといえる。 だが「戦前戦後の女装男娼」、「胎内十月の見せ物」「人体模型」をテーマにした論文においては珠玉の論考集といえよう。
4 人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
日文研の伝統でしょうかねえ…,
By ねっとてんぐ (東京都目黒区) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 性欲の文化史 1 (講談社選書メチエ) (単行本)
あとがきに、なかなかおもしろいトピックがのっています。「リポビタンDのコマーシャルをテレビで見ると、どきどきする。あんな影像が、日本ではキイ局の画面で流せることに、感心した。自らゲイであることをみとめているアメリカ人の研究者に、そういわれたことがある。(…) 男と男が、『ファイト、一発』と言いながら、手をつなぎあう。しかもそのふたりは上半身が裸になっている。そんな画面を見れば、どうしたってときめく。何気なくはみすごせない、と。」 この他、外国人の視点から見た日本文化の性的表象の奇妙さをとりあげ「日本文化、とりわけ文学を研究するアメリカ人男性に、ゲイの人をよく見かける」、「日本文学を勉強するのは、女かゲイ、そしてユダヤ系しかいない」などといわれたりする。 編者井上氏はこれらのエピソードから、日本文化は本来セクシャルな傾向が濃厚で、近代以降の西洋化や男女同権論などによってこれらの本性が抑圧されてきたといいます。それを複数の研究者の共同研究で解明していくのが本書の目的です。 もちろんこれらの言説には注意しなければなりません。 1.日本文学にはもともと「色好み」の伝統があり、江戸時代には儒教イデオロギーとのあいだに軋轢を起こしていました。キリスト教文化と比較すると男色にも寛容で、西鶴は「男色大鑑」などの作品を残していますし、陰間茶屋などの男色が性風俗として制度化していた時代があります。「東海道中膝栗毛」の弥次さん喜多さんは、いわゆるホモだちで駆け落ち者でした。これらのことは隠されてきたわけでもなんでもないし、ゲイが日本古典文学に惹かれるのは当然のことです。第一、歌舞伎自体がきわめてトランスジェンダーな伝統演劇。海外のゲイが日本にあこがれるのは至極当然なことです。 2.一般的にいって、それぞれの文化には固有の性規範があり、それに沿った形で生殖が営まれるもの。今日の目から見ると江戸時代以前の性風俗は奇妙に見えますが、それをもって日本文化への評価を上げたり下げたりしても、あまり意味がないことです。世界にはもっとユニークな性文化がたくさんありますし、現在もまた生み出されています。 いわば編者の言うことはいまさらこと上げするようなことではありません。ところが編者は先に上げたようなエピソードを用いて、アカデミズムを批判します。 「私は、そこに学問としての退廃を感じる。事実よりも、美しく仮構された物語によりかかる。ほんとうの下着史より、女権論の都合にあう下着史を書きつづる。たいせつなのは、女の自立だ。女給やホステスの話なんて、ほうっておいてもかまわない。(…)そういう人たちに、あえてたずねたい。あなたたちは馬鹿にされることが、そんなにこわいのか。事実に目をつむってまで、学会から受け入れられることが、それほどここちよいのか、と。」 「女権論」とは時代がかった表現です。もしこれがフェミニズムのことをいっているのなら誤りです。現代のフェミニズムはカルチュラル・スタディーズなどと結びついて、歴史・社会について幅広い視野から多大の成果を上げています。フェミニストのほうが性についてはフレキシブルなものの見方をしているように感じます。「女給やホステスの話」を掘り起こしてくるのは、むしろアカデミズムに忠実な女性研究者のほうではないでしょうか。 社会が再生産によって維持されるものであるならば、セックスが文化の根底にあるのは当然のことですし、それに対する抑圧は(いい意味でも悪い意味でも)急速になくなりつつあります。そうなってきたのは、ひとえに女性の社会進出のおかげ。「女権論」の成果であることを忘れてはなりません。 編者は、女性の下着についての独創的な研究から、これらのアカデミズム批判をしているのですが、下着のことひとつでアカデミズム全般を批判することはできないし、「女権論」のイデオロギー批判にもなりません。それをすれば小○野氏同様、逆の意味での「退廃」におちいるでしょう。 アカデミズムを批判し、西欧的理性に疑問を投げかけ、日本文化の独自性を強調する。日文研の伝統なのでしょうか。梅原猛などもそうでしたが、ここの学者さんにはこのパターンの言説が目立つような気がします(昔はそれが新鮮にみえた時代もあったのですが)。 こういった点さえ気をつけるなら、共同研究の着眼点としては悪くないし、所収論文もきちんとしたものだと思います。
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