河出書房新社編集部編というだけあって、書籍全般を通す文脈がほとんど見当たらない。
他のレビューアーの方も書かれているが、
3.11という、衝撃的な出来事を通しての、何かしらの
新しい世の中の見方、見え方が提示されるものかと、姿勢を正して読み始めたものの、
既存の見方を通して、3.11という出来事を見るという文章が多く、正直、「んー」と首を傾げてしまう。
題名や、装丁負け、価格負けしているかもしれない。
しかし、それでも、
ところどころには、心に引っかかるものもあったのでメモとして残しておく。
円城(塔)さんが「今陰謀があるとしたら、分かってるものを隠す陰謀ではなく、分かっていないものを把握していると言い張る種類のものであるはず」と極めて明敏に語っているんですね(P10)
TPPの議論が、世の中をにぎわせているが、
新聞の社説らをよんでも、TVのコメンテータのコメントをきいても、どれも、薄っぺらい感じを受ける。
自分たちが何をやろうとしているのか、本当に考えているのか?そのように問いかけたいので
上記の文章は、心に引っかかった。
たまたま「思想」で、建築家伊藤豊雄が書いていた事で(中略)
「想定外」という言葉は「想定内」と「想定外」があたかもはっきり切り分けられる事象であるかのように思わせてしまう。だが伊藤は、それは「機能主義」の結果にすぎないと言い、こうした「想定」そのものをおこなう設計思想を見直すべきではないかと述べている。自然の中での住居空間である建築にとって、そもそも「想定以外」も「想定内」もありえない。(P135)
エンジニアのはしくれだった私には、設計基準(想定)を設ける事は必要悪であると考える。
その線引きがないと、物事を設計する事はできないからだ。
しかし、設計の想定外であったからといって、責任は設計者にあるのだ。
どこを設計基準とするかは、設計者に任されるからだ。
そこが、現在の東電なり、すべての「想定外」という事で責任逃れをたくらむ輩に私は言いたい。