『快楽の活用』は『自己への配慮』と並ぶ,晩年のフーコーの代表的著作である.よく知られているように,『知への意志』と『快楽の活用』の間には約8年のギャップがある.このギャップは一般に,フーコーの活動停止期間という風に捉えられがちだが,正しくはフーコーがそれ以前の,いわゆる権力を中心とした方法論による主体のあり方を記述するスタイルの限界を通して,「主体化の問題」という彼の哲学の基盤にある問題を描き出す為の新しい記述のスタイルを模索していた期間と捉えられるべきであろう.この8年の間にフーコーが直面した様々なジレンマについてはドゥルーズ『フーコー』でも触れられている.8年のギャップを経て出版された『快楽の活用』,『自己への配慮』では,それまでフーコーが主に扱ってきた「古典主義時代(18世紀)」から遠く離れたギリシャ社会における人々のダイアローグが記述され,人々が自己の性のあり方を形式化する為に用いた実践の様式について淡々と綴られる.その禁欲的とも凡庸ともいわれる記述のスタイル,ギリシャへの言及は,それまでのフーコーの著作になれ親しんでいた読者を困惑させるものであった.しかし,この「主体化の形式」を巡るフーコーの記述スタイルの変更は,後期フーコーを理解する重要なキーであるばかりではなく,権力論の内部における主体のあり方/可能性についての記述が孕む限界が明らかになった今日(そうした問題は特に人権を主題とする一連の学問において顕著である),主体を論じる新たな方法論の提示,という点において重要であるといえよう.また,あとがきには,フーコーの晩年の活動を説明することで,フーコーの記述スタイルを変更の理由についての考察も含まれており,後期フーコーについての研究,解説書が限られている日本において後期フーコーを知る手がかりとしても有効である.