内容(「BOOK」データベースより)
京都を焦土と化した応仁・文明の乱は戦国時代の幕開けだったのか?日野富子を元凶とする『応仁記』がもたらした定説は、近年見直されつつある。幕府内部や関東の政情不安にも光を当て、新たな応仁・文明の乱を描く。
レビュー
担当編集者よりかつて「応仁の乱は日本史の大きな分水嶺」と内藤湖南が言いましたが、この乱は日本の歴史を考えるうえでひとつの大きな節目と考えられてきました。ただ、その具体的なイメージとなりますと、必ずしも鮮明とはいえません。細川氏と山名氏の家督争いが発端となって、当時の国家を二分した争いになったという程度でしょうか。
しかし最近の研究成果からは、全く違った説が唱えられています。当時、細川勝元の正室は、山名宗全の娘であり、以来両者は連携して、畠山持国と対抗してきました。そして応仁の乱勃発以降も、和睦交渉は着々と進められているのです。さらに、和睦が成立した際の、細川家の家督は、敵対していたはずの山名宗全の娘が生んだ政元でした。
それでは、通説はどのように生まれたのでしょうか。本書では、『応仁記』が書かれた当時の政治状況が描かれ、同時に東国政権との関連を強調するなど、新しい応仁の乱像を浮かび上がらせています。