祇園は京都の古い伝統の中に今も息づく街である。この本は祇園の日々の生活実態を或程度捉えている。或程度と敢えて述べたのは、祇園に生き昭和9年の第一次室戸台風(昔は関西風水害と呼んでいた)で加茂川が氾濫し祇園町のお茶屋が被害を受け廃業し、以後は芸妓、舞妓に永年、茶道を教え昭和の半ばまで生きた女性を姻族に持つものとして知っている実態からみてのことである。
祇園は特有の華やかさの中にしっとりとした情緒がある街でありながら、別の顔としての厳しさが同居している街である。乾いた言葉で言えば祇園における様々な出来事はすべてがビジネスなのである。このことは伊集院さんもしっかり描いている。先行投資し資本の回収にプラスαの利益が当然のこととして伴うものでなければ祇園はとっくになくなっている。多くの企業の生存競争と何等その本質は変わらない。このことの弁えがなければ伊集院さんの描いた「世間知らずの主人公」の悲哀は理解できないと思われる。一介の書生が到底太刀打ちできる社会ではない。
経済的に恵まれた世間知らずの学生と「舞妓から芸妓になろうとする過程で恋を知った」女との悲恋をこのように美しく描いた作品は今後も出ないと思う。願わくは、この女性の内面をもっと掘り下げて描くことも伊集院さんにはできた筈ではないかと思い、些か残念な気がした。