サールについては、自分は少し前まで「構成的規則」「中国語の部屋」程度しか知らず、読み始めたのは去年の「MiND」からだが、以後読むたびに予想以上の面白さで、本書にもそれが言える。議論が周到で、具体例も豊富で気が利いているので、読んで楽しい。
サールは本書で言語哲学を心の哲学の一特殊分野と位置づけ、以後研究の中心を言語から心に移した、と言われる。確かに、意味行為を扱う6章はそれが主題だが、本書全体から見れば単なる一面だと思う。サールの志向性理論の最大の特徴は、1章にあるように、志向性の論理的特性(充足条件や適合方向など)と存在論的問題(世界における実現のあり方)の区別である。本書は主に前者に検討を集中するが(後者は10章と以後のMiNDなどの著作で扱う)その際言語行為論の成果がフルに活用される。例えば7章では、信念報告(一般には志向的状態の報告)の謎めいた特性(内包性)が信念自体ではなく報告行為の形に由来することを「命題内容と発語内力」「反復と報告の区別」といった道具立てを使って示し、言語行為論の威力を実感させる。(ちなみに、監訳者あとがきはなぜか正反対の事を書いている。言語行為論がひ弱とかいう解説文は正直意味不明)
応用編にあたる8,9章はパトナムやクリプキの外在主義的意味論の批判だが、サールの「ネットワークとバッググラウンドを含めた志向的状態」「指標性と自己言及的因果性」といった理論装置の強力さを思い知らされる。あと、2章が翻訳担当者野矢氏の反因果的知覚論の問題点を的確に突いているのが興味深い(訳文は申し分ない)。一番違和感を感じたのは3章の「行為経験が身体運動を引き起こし」という箇所で、これについては20年前の黒田亘氏の批判が正しいと思う。