まず、「血液型人間学」が取り上げられている。もちろん、そんなものは統計学的処理をしていない、非科学的な思い込みに過ぎないことは言うまでもない。それなら、「血液型人間論」程度に名付けてほしい。「学」なんて、恐れ多い。
それにしても、二十一世紀に入って十年以上にもなるのに、いまだにこんなものが世の中にはびこっているのは、嘆かわしい限りである。テレビや女性雑誌では頻出である。ひどいものになると、これと星座を組み合わせた占いを放映していたりするけれど、そんなもので一喜一憂するのでは、知的水準が幼稚園児並みといえる。
誰でも名前くらいは知っているロールシャッハ・テストは、何年か前に病院でやらされた。統合失調症を疑われたらしい。これまた、統合失調症の簡単な判別以外には意味がないテストとのこと。真面目に回答した自分は何だったのか。
次、YGテストが無意味なものとは知らなかった。かなり怪しげ、とは感じていたけれど。
これは入社試験でやらされたし、若い時の研修でも二回ほどやらされた記憶がある。今から思えば、バカバカしい限りである。
内田クレペリン検査は受けたことがないけれど、一見しただけでも、くだらないものであることが感じられる。著者が「バカにならなければやっていられないテスト」というのも、ごもっとも。自分なら、間違いなく非定型パターンを示すだろう。
それはともかく、この著者、長めの用語を勝手に略すので混乱する。“ロールシャッハ・テスト”を“ロールシャッハ”、“内田クレペリン検査”を“クレペリン”、というように。検査名なのか人名なのか、文脈で判断しろ、ということか。
また、原語の発音に忠実でありたい、と思っているのか、外来語の“ゴールド”や“パターン”を“ゴウルド”とか“パタン”とか書くくせに、ドイツ人の名前“Wilhelm”を“ウィルヘルム”など英語訛りに書いているのは、片手落ちだ。“ゴウルド”や“パタン”では、読んでもわからない人がいそうだ。