堀江貴文というのは、いい意味でも悪い意味でもとにかく胡散臭い存在だと前々から思っている。億万長者のヒルズ族として颯爽と登場したかと思えば、その後経済事件で起訴され急転直下で留置所行き。まったく他人を飽きさせない人生だ。また、口ぶりは旧態依然とした制度を相手にしない徹底的な合理主義者のようで、突然(それ以前はなる人間自体を否定していた)選挙に出たり、ミュージカルまでやってのける。その先に我々の思いもよらぬ算段があるのか、それとも懲役をくらう前のやけくそなのか。理性と本能が同居、というよりも混在している彼の存在には、興味を惹きつけられる。本書は、これら一連の出来事の一番の当事者である彼自身が振り返るルポタージュである。
本書の目玉は、勾留中の留置場と検察庁を行ったり来たりする日々と、一連の経済犯容疑についての彼の側からの見解(言い分)についての端的なまとめのふたつである。留置場の生活で彼を苦しめるのは、退屈と孤独。普段のあのふてぶてしい態度の彼である。そんな彼が精神に異常が来たす一歩手前まで追い込まれるというところに、いかにそれが過酷な空間であったかということがわかる。オ×ニーも隠れてこそこそやんなきゃならないなんて、できれば死ぬまで入りたくない場所だ。
彼が問われている粉飾決算など一連の罪に関しても、本書では彼なりの説明責任を果たしているといえるだろう。昨年の村木元次官の冤罪によって、世論の検察不信は頂点を極めるが、堀江氏は幸か不幸か当事者という立場に置かれたことで、いち早くその問題に筆を執っていたということになる。著者自身いうように個別案件についての彼の言い分はすべて鵜呑みにはできないが、検察の独占しているものとその問題点について、理解を深めるにはうってつけのルポタージュといえるだろう。
何よりも注記すべきなのは、この本の中の出来事も検察の問題も、まだ解決されていないということだ。