日本近代社会の揺籃期江戸時代を外国人の日本研究から生まれた画期的な書物と言える。日本の近代社会は江戸時代の宗教が源泉と捉える史観はユニークで新鮮味を感じる。近代、現代の日本の「思想」「哲学」はこの大戦以前は「日本思想」というものが学問として厳然と存在、存続し「日本の伝統」として一派をなしていた。海外の日本研究者は「ジャポニズム」としてアジア研究の分野確立している。
日本の日本人としてのアイデンティティーは江戸時代に始まるとされている。このことをこの書によって確認することができる。とくに注目すべき概念は、「孝の宗教」として概念規定をして江戸期の思想を分析していることである。孝の概念を「宗教」としての概念に置換し徳川時代を著述していく手法は奇抜である。ただ、この文献に挙げられていないが「六諭衍義大意」?の庶民教育に影響したことは述べられていない。疑問は、この「孝の宗教」と言われた日本の宗教概念を定義するに有力史料が明記されていないところが「孝の宗教」概念の根拠を補強する一歩が足りないように思えた。この書の後半は、石田梅岩の江戸期の経済思想と今では捉えられる概念を援用し日本の経済、資本主義、と経済人としての江戸期の町人思想を説いていくことは現代の経済史の分野だと思う。説の古さが付きまとう。
もし、後半部の町人思想を「徳川時代の宗教」と普通名詞化するならかなり概説的で本来の「宗教」の概念からずれていく方向にあろうかと感じる。
この書は、徳川時代の宗教といった難題に前半部はよく考察されている。「儒教社会」の日本の一端を1950年代に述べたことは当時題名とともに画期的な事柄であったろうと推察できる。現代におけるこの書の価値は、「儒教を宗教」と定義したところに画期的な点といえる。現代でもこの問題は解決を見ていないようだ。日本社会の孝の概念を近世の宗教、儒教として捉えるよりは「倫理」「道徳」「社会思想」等と捉えるのがもっぱらな思潮は今も続いている。もう一度「和辻哲郎」「津田左右吉」などの日本の国民思想の形成についての研究を再考するのも古い考えかもしれないが面白いように思う。是非一読を乞う。