大坂の両役が終わり、武家、禁裏、寺社への諸法度を公布することで
幕府の体制が確立してゆく・・・・・
いわば‘創業期’の問題点を家康公は見事にまとめ、
その視線は国内のみならず、国外へも向けられたものでした。
新政の亀鑑に魂を入れるため、その姿勢は鬼気迫るものがあった事でしょう。
この‘創業期’に影を落とすのが、伊達政宗と松平忠輝の存在でした。
無論、今となっては彼らに幕府転覆の謀も実力もあろうはずがありません。
しかしそれだけ未だ世情は不安定だった証です。
最期に家康公は伊達政宗と‘邂逅’します。これは政宗にとっても大きな
出来事でした。この感懐が後に、巷間名高い‘残躯天の赦す処’となるのでしょう。
松平忠輝は残念でした。功業には犠牲はつきものですが、忠輝の傲慢や横着ぶりは
新体制には馴染まないものでした。斬り取り勝手の戦国の世は終息したのです。
為政者は長幼の序を尊び、朱註をもって領民を感化し、寄らしめる・・・・。
大坂の秀頼母子の事もあり、泰平へのスケープゴートに家康公は
敢えて松平忠輝を指名したかのようでした。
泰平招来の悲願の下、幾多の難事を乗り越え300年の永きに渡り
侵略を許さず、侵略をせずという世界史上にも稀有な長期安定政権の礎を
ついに家康公は築いたのでした。
この作品が世に出たのが昭和25年の事。完結するまでに18年という月日を費した
文字通りの超大作です。太平洋戦争での敗戦を噛みしめ‘徳川家康’という人物と
その時代を通して日本とそして日本人のあるべき姿を山岡先生は筆に込められたと
思います。家康公の拓いた‘江戸時代’ですがこの時間軸は功罪相半ばと
いわれます。罪の部分はといえば世界的な潮流だった中世の大航海時代への扉を
自ら閉ざし、国民の性格思想ともに矮小化させただけであると・・・・。
この批判は如何でしょう?
やがて15代将軍慶喜が大政奉還を決断し明治維新を迎えます。
農本主義の国が富国強兵のスローガンのもと重商主義に舵を切り、
欧米列国の帝国主義と覇を競います。その明治の頃の人物たちを涵養したのは
いうまでもなく江戸時代の庭訓でした。士農工商という身分の中で、特に
武士階級の知識や秩序や正義に関わる意識は日本独自の‘武士道’として
結実していきました。
多難だった時代を支え拓いた、明治の気骨とはすなわち、
江戸時代の精神だったわけです。
家康公の生涯から江戸時代をもう一度見つめ直す事は
疲弊した今の日本に生きる日本人たちに実は一番必要な事と思いますね。
大作でしたが、飽きさせる事のない山岡先生の全26巻。
再読、再々読するとその時々の味わいが出てくる名作です。
是非ともお奨めします。