何度も読み返さないと先へ進めない本を久しぶりに読みました。
70年代のサブカルチャーの担い手で、今も独自の活動を続けている二人の対談です。
言葉、文章と表現、教育、メディア、表現、心と自由など、お二人の活動に通底するキーワードについて語り合っていますが、ともかく中身が濃い。あんまり濃すぎて、何を言っているのか理解できない部分にもたくさんぶつかりました。
きっと、時間をかけて読み解けば、何を言わんとしているのか理解できるとは思うのです。しかし、そうやって無理して理解しようとしても、自分の腑に落ちない論理的思考は、何の役にも立たない、自分には縁のないものと割り切ることにして読了しました。
それでも本書は中身が濃い。
自分の腑に落ちた部分だけでも、ずいぶんと収穫がありました。
たとえば、自分を呼ぶ呼び方(一人称)についてです。
橘川さんは、かつて『ロッキング・オン』をやっていた20代の頃に「僕」をつかっていました。その後、30代のときに「私」に変え、インターネットが普及しだした頃に、また「僕」に戻しました。「僕」から「私」に変えた時も、「僕」に戻したときも「ある決意」をしたそうです。
かたや村松さんは、「僕」と「私」の間に一本の線があるとすると、「僕」のほうから「私」のほうに向かって4分の1ほど進んだ地点あたりに言葉が一つ欲しいと言いました。
一人称ひとつについて、これだけ熟慮して使っている、ということに驚き、なかば呆れるました。
もう一つ、文章を書く心構えについてズシンと感じた村松さんの言葉を紹介します。
頭脳から出てきた言葉は頭脳にしか届かない。
心から出てきた言葉は心まで届く。
魂から出てきた言葉は魂を動かす。
単純にそういうことなんだ。
言葉は難しくありませんが、内容は難しい哲学対談です。