作家はある程度だが、某系譜に属するとする説明が可能である。しかしながら、花田清輝という作家に関してはそのような見立ては無理強いしてもまったく意味がない。韜晦癖にあいまって独特なレトリックでもって読み手を煙に巻いてしまうのだ。ならば読み手は書かれた本のみに集中してみよう。代表作「復興期の精神」を紐解けば分かるがレオナルドであれコペルニクスであれポーであれ、それが宗教家であろうが童話作家であろうが画家であろうがレトリックを用いて縦横無尽に精神を躍動させる。黒澤明の白黒映画にあった主人公の目の輝きに似た感覚さえ脳裡に蘇る各章は、いわば灰の中のダイアモンドとも評すべきか。書かれたのは戦中であり当然ながら思想への監視や厳しい言論弾圧の最中であった。確かに吉本隆明が批判したような目立たぬ程度の反抗にすぎなかったともとられる部分はあるだろう。しかし、息詰まるような状況下でこれほどの純度の高い強烈な本を書くことの出来る花田はやはり時代を刻んだ一箇の作家なのだ。作家はつくることが本業である。政治的であろうがなかろうが作家たる足跡を残せばいいのである。もっとも、花田清輝はその足跡をもかき消そうと試みる作家なのだから困ったもので、そんな点が本のみならず作家への興味を惹き時代を超えて再読されるのだろう。孤高なる精神の筆なるものは一筋縄にはいかないのだ。本文庫末にある池内紀の解説もなかなかに秀逸なものである。