遺諡により後水尾と追号されたこの天皇は清和天皇時代を理想とし
秀忠の娘和子を皇后として、したたかに徳川幕府と渡り合った天皇である。
水尾とは清和天皇の居所があった水尾村から来でおり、
後水尾はいわば、後清和天皇の意なのである。
今日天皇が学問を専らとするのは、後水尾天皇に端を発 する。
政(まつりごと)から離れた時の天皇の形を作ったのは後水尾天皇なのである。
この書は『影武者徳川家康』などを書いた時代小説作家、隆慶一郎氏が
最も数多くの付箋を貼った書として知られている。
ちなみに2番目に付箋が多かったのは『徳川実紀』だとされる。