本シリーズの大きな魅力は、どうにも立ち行かない事態を、妖怪の仕業として収めてしまう又市らの大仕掛けにある。その鮮やかな手口は本書でも健在であるが、特徴的なのは、又市らの胸をすく活劇を、過去のものと位置づけている点だ。老いた百介の背後に浮かぶのは、近代へと移行する世の中にあって、失い、忘れ去られていったものたちの姿である。全編を貫くのは、妖怪が無用の長物と化した「無粋な時代」に対する寂莫たる思いだ。それだけに、最終話「風の神」で、最後の仕掛けを施す百介の姿が胸に迫る。
また、『陰摩羅鬼の瑕』など、憑物落としの中禅寺秋彦が活躍する「京極堂シリーズ」と共通する人物が登場する点も興味深い。これにより、又市らが登場する『嗤う伊右衛門』なども含め、その作品世界が、1枚の絵の中に収まることが明らかとなった。そこには、妖怪という視点から、我が国の成り立ちとその行く末を見定めようとする著者の遠大な試みが見え隠れしている。本書は、その重要な接点ともなっているのである。(中島正敏)
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そんな中、剣之進、正馬、惣兵衛、与次郎の4人は世の中で起きた不思議な話を、あれやこれやと話しながらも、最後には物知りの一白翁に話し、そして相談しに来るのだ。老人は過去を懐かしみながらも、かつて遭遇した不思議な話を語り始める... 。「世に不思議なし、世凡て不思議なり」と。
現代(ここでは明治)の怪異の解き明かしを、昔の不思議な話をヒントに行っていく。そして最後に、語られなかった昔の不思議な話、つまり又市らの仕掛けたカラクリが明らかにされる、といった作りの短編集で、最後の一編を除いて、雑誌連載のもの。
時代の移り変わりと、百介による語りという形でこれまでの2作とは一味違う。鮮やかさはないが、味わい深い作品だと思う。「赤えいの魚」などは「陰摩羅鬼の瑕」で語られた奇妙な世界に非常に近い印象を受けた。
尚、本作最後の2篇は「陰摩羅鬼の瑕」とも非常に密接な関係がある他、随所にこれまでの作品との関連も見られる。じっくり、何度も読みたい作品だと思います。
あちらとこちらの境、その境にあったのが山岡百介でその境にあるのが、境をあらわすのが百物語ならば、この本は私にとってまさに山岡百介であり百物語であった。
少なくとも一度この本を読み終えることによって、私はあちらを覗くすべを失ったように感じた。御行と別れた百介のように。
そう感じさせることがどういうことなのかまではまだ考えようと思わないが、あの感覚はそう味わえまいと思う。
入り込めない人は入り込めないだろう。どれだけ否定の文章を見ても驚かない。けれど入り込んでしまう人は、連れて行かれそうになる。
「後」で京極氏は、その落とし前をつけた、ような気がした。
物話全体に流れる雰囲気に、もう過ぎ去ってしまった、
そして百介が又市一味と行動を共にした、
ほんの数年だが彼が一番活き活きとしていた江戸という時代に対する
切ない懐古の念が感じられました。
前作とは違った形式をとりながらも、
あっと驚く仕掛けで困難な依頼を可能にする
又市一味の魅力は色褪せていません。全三作の中でも最も好きな作品です。
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