東京大空襲によって燃え盛る麻布の屋敷を指差し、父が叫ぶ。「お前達!避難民は一人も入れるな!土地を取られてしまうぞ!土地だけは絶対に渡してはならん!」
一昨年、西武グループと堤一族を「暴いた」マスコミがこぞって引用したこの一節は、辻井喬(堤清二氏)によるこの自伝的小説からでした。
事業的にも性的にも(!)強欲な、尊敬できぬ父。妾として自分を育てた母すら、養母ではないかという疑惑。永遠の父探し、母探し、異母兄弟との諍いはナイーブな彼を自己否定に駆り立て、マルクス主義による自己改造と、ブルジョア家族との断絶にまで追い込みます(血族を否定する為に彼に残された論理は「労働者の敵ブルジョアだから」でしかなかった哀しみ!)。しかしそうしてもなお、革命組織と思想にすら彼は裏切られ、また一人の人間として普通の生活の世界に戻っていくのです。
「生い立ちについて、私が受けた侮蔑は、人間が生きながら味わわなければならない辛さの一つかもしれない」という暗示的な文章で始まるこの小説を、単に複雑な家庭環境にもがき苦しむ人間の特殊な自伝として読むのも、とある思想や物語への人間の帰依願望として読むのも、いささかもったいない。
自分の中の消したい記憶や家族との葛藤は形こそ違えども、皆あるのではないか。それをこれほどまでにドラマチックに描けた事は稀有です。絶版しているのが勿体ない小説。