書名に言う「影絵」とは、想像力により表象となる以前の、現象=実体と地続きであるようなイメージをさす。かつて人々は影に予兆=徴候を看取し、世界(全体)の意味と未来を読み取った、と著者は言う。しかし現代において影は実体を欠落させ、自然さえデータベースのような断片化された存在形態しか許されず、世界はシミュレーションそのものとなる。
9・11を境にこれが「未曾有の速度とダイナミズムを獲得」(p65)し、「情報メディアが完全に戦争機械の一部」(p54)となったと、著者は主張する。そして「わたしたちはみな、アメリカのイメージ空間の人質になっている」(p64)という立場から、この世界にさまざまな接線を引くことでその様態を浮かび上がらせつつ、脱出口を探る。
著者はカネッティに依拠しつつ、9・11のテロリストたちを「命令」の観点から論じる。ツインタワーに激突したジェット機は「命令」を具現する矢であり、生物学レヴェルで作用している物語の構成原理「出立せよ、探せ、見つけよ、そのために戦え」という始原の「命令」に連なるにしても、自らの死さえ要求する「命令を信じて疑わない人間は、断片としての言語しか持たない」(p44)。つまるところ、テロリストもまたシミュレーション世界の住人なのだ。そして「見捨てられた人々の、出口のない世界を、外側から平然と見つめている観客」(p100)である私たちもまた。
いくつかの希望が示唆される。「命令」を無効化する可能性を予感させるベケットの作品群。倫理を知性と、他者の苦痛を(対象ではなく)基盤とする情動との統合の上に探ること。死者たちとの対話。あるいはオキナワ。そして群集の判断力(p65)。
この著者の言葉は時に鈍く、凡庸で、曖昧だが、まさに予兆に導かれるようにして時に詩的であり、しかもどこかで現象=実体と地続きの確かさを感じさせる。「影絵の戦い」とは、彼自身の戦いの謂いなのだろう。