06年4月に、愛知県にある引きこもり支援施設のアイ・メンタルスクールで寮生が死亡するという事件が発覚した。同時期、やはり愛知県にある支援施設・長田塾も元塾生が、長田塾らに拉致・監禁された、として裁判を起こした。長田百合子、杉浦昌子という実の姉妹の経営する施設の実状・経緯を中心として、「ひきこもり支援」について問うた書。
ということで、本書で書かれているのは、長田、杉浦両氏による「ひきこもり支援」施設に関する事件と、その施設の実態と、両氏の経歴などからの検証…が中心になる。両氏ともマスコミで「熱血カウンセラー」などと持て囃される存在でありながら、その施設の劣悪な実態には愕然とさせられる。が、本書の主題はそこではなく、その事例を通して考える「ひきこもり支援」というものへの考察であろう。
本書は複数著者による共著作であるが、全てに共通しているのは、「ひきこもり」というレッテルの持つ問題、そして、「引き出す」という行為が「良いこと」とされている暗黙の了解への疑念である。
「ひきこもり」という言葉は、それを「悪」とする価値観がある。そして、支援者は「善意」で、彼らを「引き出す」ことを目的とする。「ひきこもり」が「悪」と見做し、それを「否定」「更正」するのを「善」とする、というのが「支援」の多くにあること。しかし、そもそも「ひきこもり」は「悪」なのだろうか? そして、この「支援」は、「ひきこもり」当事者本人の意向は無視して行われる。誰が為の「支援」なのか? という疑問を投げかける。
本書の著者らの主張は、「ひきこもり」という状態の肯定から始まる(というか、そもそも「ひきこもり」と言う単語自体も否定する)。その上で、支援についても「引き出す」という前提を否定する。「良い引出し方」「悪い引出し方」という考えでは、第2、第3の問題が起こる、というわけである(というか、この事件自体が、戸塚ヨットスクール事件依頼の流れにある、と考えている)。
無論、本書で書かれている部分の細かいところでは反論もあるだろう。例えば、本書では否定されているが、経済的な視点で語ることも実際的に必要な面はある。だが、全てをそれのみで語ることは明かに問題であるし、国・自治体レベルさえもが、その視点というのは問題だろう。「ひきこもり支援」というものについての議論に一石を投じる書であることは確かだと思う。