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選択肢の少ない日本社会の中で、拒否権を行使しているのが引きこもりなのだと著者は示唆する。
加えて、近年のネオリベラリズムの流れに著者は反対する。ネオリベラリズムは個人の自己責任を欲求する。ただしそれは個人の幸福のための自己責任ではなく、国家のための自己責任である。仕事のストレスをごまかすために労務管理の改善ではなく、抗鬱剤が世界的に普及していると著者は言う。
ネオリベラリズムは、再生産の環境を国家の政策によって破壊してゆく。にもかかわらず、病気も少年犯罪もすべて「自己責任」だとされる。そのなかで、定義もはっきりとしない引きこもりが個人の心の問題とされ、本人または親のみが責められると著者は憂慮している。
こうして社会全体が引きこもり本人を追い詰める。安直な引き出し行為はそれに拍車をかける。
そうして追い詰められた人々に著者は「それでいいんだよ」と心から訴える。個人の実存を尊重し、社会的排除を許さぬ著者の姿勢は一貫している。
それは著者自身のリスクをかけた行為でもあろう。著者の、個人の幸福のために不正な政策と対峙する勇気を目にした読者は感銘を受け、深く癒されるだろう。
初めに結論=筆者の考える正義があって、それに合わせて論理を飛躍させているような気がしてならない。えひめ丸事件を引き合いに出して米国への反感をかき立てることに、どれほどの意味があるのだろうか。筆者が保守思想や米国を嫌うのは勝手だが、引きこもり問題の原因をそこに見出すのは、乱暴ではないか。筆者には、この種の信念?から離れた冷静な分析・議論を望みたい。
ただ、否定的に見られがちだった、引きこもりや不登校という行為に向けての新たな視座を提供した、という点については、多少評価してもいいのかもしれない。よって星2つ。
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