2005年12月に、東京駅、東京ステーションギャラリーで行われた「生誕100年 前川國男建築展」のカタログにカバーを載せ替え出版したもの。
作品集を取りまとめなかった前川國男にとっては、彼の仕事の全貌を見るうえで貴重な資料といえる。
写真が素晴らしい。プレモスはこんな外観だったのかと感動。
図面はもっと掲載してほしかった。テクニカルアプローチの代表作である日本相互銀行本店はすでに無くなってしまったが、その外装の失敗した雨漏れディテールなどは、詳細図が見てみたかった。巨匠失敗はもはや隠すこともなく、日本のカーテンウォールの黎明期の貴重な記録であるように思うのだが。名作、神奈川県立音楽堂では、木のホールとRC構造の関係が読み取れる図面がない。個人的にはこれにも興味があったのだが。
神奈川県民ホール+青少年センターや、東京文化会館+西洋美術館+上野駅を、建築複合体としての視点で語られた解説や、図版がないこともちょっと残念。都市に直接アプローチすることがなかった前川にとって、こうした建築複合体の構成こそが、アーバンデザインであったろうから。前川はこれらのコンプレックスの設計に対して何を思っていたのだろうか。
そんなことを考えながらページをめくっていたのだが、いつの間にかどっぷりと前川建築にひたり、楽しんでいた。
改めて、前川國男の建築家としての人生は、自分の趣味や嗜好を殺して、建築を通して社会と闘っていたことえを学んだ。これほど気骨にある建築家は今時いるのだろうか。
そんな中で、竣工時いろいろ言われた東京文化会館の造形のみが、ひときわ異彩を放っているように感じた。これのみが、音楽という前川が愛してやまないものに対する前川の愛情表現が生んだ造形であったような気がしてきたのだ。本格的音楽ホールをつくりたい前川に対して、プログラムは国際会議場としての機能を要求する。この状況の中、前川は音楽以外のものを特徴的な造形の屋根の上に配し、存在を消してしまう。この大胆な整理により、前川は1階レベルの空間をすべて音楽のための空間として、それを西洋美術館と挟まれた空間にまで押し広げる。後に前川自身が語るエスプラナード=建築的回廊の原点がここに読み取れる。前川の音楽を愛してやまないわがままな感情が生んだものが、東京文化会館の屋根の造形であり、その結果、1960年代の初頭に、世界的な音楽ホールが東京に生まれたのだった。
松隈洋先生がまとめられた「前川國男 現代との対話」と同時に読まれることをお勧めする。