未刊行の講演やインタビューを載せた珍しい本。廣松渉に関心のある人は勿論、難しくて読む気はしないが、関心があるという人も手に取ることになる本。廣松渉のマルクス理解、近代思想理解、科学論、四肢構造論などが垣間見ることができ、確かに易しく語られている。これが没後10年ぐらいまでであれば、もっとインパクトがあったと思うのだが、私の感じでは、今の時点では、やや物足りない中途半端なものに見えてしまう。マルクスと近代思想の部分は、著者の力量がまがうことなく示されているのは確かだが、やはり時代の流れか、マルクスを頂点と決め込んで思想史をその「前史」であるかのごとく語るスタイルは「年代物」にみえる。著者にすれば、そんなことを言っても、マルクスが空前絶後の思想家だったことを示す論拠などいくらでもある、ということかもしれないが、やはり無理だと思う。最大の論拠とする「関係主義」とて、「ドイツイデオロギー」や「フォイエルバッハへのテーゼ」などであっても、総論的にしか語られておらず、なるほど天才的な視点ではあっても、所詮は各論で展開できていない以上、どうしようもない。かくいう私もその昔は廣松渉の影響下で一も二もなく同意していたが、大人の社会では、総論だけでは駄目だと思う。マルクスが書いたのは「資本論」であって、それを論理学や科学一般の本として読むと言っても、所詮は他人の勝手な解釈で雲霞の如き諸説があって現代科学への寄与という点では怪しいことは認めなくてはいけない。にもかかわらず、著者の思想史はいわばマルクス聖人に至る「旧約聖書」の如き書き方(ヘーゲルはヨハネか)だ。その圧倒的な力量は認めるとしても古い発想だと思う。関係主義もやや拘り方が今となれば釈然とせず、「実体」をかき消し「関係の第一次性」と言われても日常生活の場面では「実体」無視には限度があるし、斯くいう廣松も、結局断りながらも「実体」を前提にした言い方しかできなかった。また「実体」をかき消して何か良いことがあるのか伝わりにくいところだ。著者の弟子筋に「良い物象化と悪い物象化がある」と言って弁護している人がいたが、こういうことを言いだした時点でもう終わっていることは言を俟たないと思う。むしろ廣松の魅力は、超人的な学識の広さと理論的な詰めにあって、一見難解とも思えるあの文章に出てくる思考を体験することにこそある。「易しく」語られては如上の意地糞悪い疑問が噴出して意味がない。本書の圧巻は、個人的には、「近代知の地平とその閉塞性」という章にあると思った。借り物ではない本物の知識は胸を打つ。