5才より作曲、ピアノ、オルガン、音感レッスン等、音楽英才教育を受ける。福岡県筑紫市吉木小学校、福岡女学院中学を経て、同高校音楽科、作曲を専攻。その後、国立音楽大学作曲学科に進学。日本の大学へ通う傍ら、ロサンゼルスへポップスの勉強のため渡米、学生時代はほぼ日米を半々で暮らす。ロサンゼルスでは、マイケル・ジャクソン、ダイアナ・ロス、ホイットニー・ヒューストンなどのボイストレーナーであるセス・リッグス師に指事し歌唱を学び、ポップスの作詞・作曲も開始、「世界で活躍する作曲家になる事」を目指す。
ロサンゼルス生活は食費、家賃でぎりぎりの生活で、英語にも苦労していたが、そのような中、日本のレコード会社等に自曲を送り始める。動機は
『いくらでもいいから、レッスン代を稼ぎたかった。』
作曲家をめざし、そのサンプルとして曲を送っていたのだが、広瀬自身の「仮歌」の方が作曲より注目され、ビクターエンタテインメントを含む合計5社から、歌手デビューのオファーが来る。
『作曲家じゃなくて、歌手?』と、当初は困惑したが、レッスン代捻出のためならと、歌手としてのデビューを決断する。
1992年7月、ビクターエンタテインメントよりアルバム「Bingo!」でデビュー。
同年12月にリリースした1stシングル「愛があれば大丈夫」の15万枚ヒットを皮切りに、発売するシングルが次々にヒット。中でもAlpenのCMタイアップ曲として起用され、175万枚の大ヒットを記録したシングル「ロマンスの神様」をきっかけに広瀬香美の名が世の中を席巻。その後も「ゲレンデがとけるほど恋したい」「Promise」など、冬の時期に次々とヒット曲を生み出していったことから「冬の女王」の異名が定着した。
1998年11月、ベストアルバム「THE BEST“Love Winters”」が240万枚のダブルミリオンを記録。アーティストとして活躍する傍ら、並行して他のアーティストへの楽曲提供、ドラマ・ミュージカル・映画等の音楽監督やプロデューサーとしても活動の幅も広げる。
順調そうに見えるが、本人の気持ちはかなり複雑。
すんなりとデビュー、そして、瞬く間に時代を巻き込む大ヒットを連発。
多忙を極める日々の中で、不安感と虚無感に悩まされ始める。
『この名声は自分の実力で勝ち取ったものではなく、時代が作っただけの事なのではないか?』と完全に自信喪失期に入る。
そして、ベストアルバム大ヒットの頃より、あんなに大好きだった音楽が嫌いになり、活動をスローダウンさせる。
1999年3月、結婚。
2001年12月、日本武道館や大阪城ホールなど、大会場を中心に初のコンサートツアー「WINTER COLLECTION」を実施。しかしこのツアーを最後に、音楽活動を休止、パートナーを支える事に専念。
2003年、2年間あまり音楽を離れていたが、このころから少しずつ音楽を聞くようになり、そして作曲も再開し始める。
「自分が最も輝く時間は、音楽に携わっている時」と再認識し、音楽活動再開を決意。
2004年12月、アルバム「LOVE BIRD」をリリース。
しかし、音楽活動を再開した事により、家庭とのバランスが難しくなり始める。
この頃からアジア各国(韓国、台湾など)アーティストへの楽曲提供が実を結び始め、特に韓国ではMC THE MAXなどへの提供曲が次々にチャート1位を獲得。
2006年2月、東京フィルハーモニー交響楽団とのジョイントコンサートを開催。
自ら全曲アレンジしたオーケストレーションに加え、指揮をしながら歌うという画期的なコンサートが大きな話題となる。
2006年11月 離婚。
『人生は何度でもやり直せる。最初から始めよう。』
決意を新たに、ロサンゼルスに生活の拠点を移し、ピアノ、歌唱、オーケストレーション等いっそうの技術向上に励む。
2008年10月イタリア系アメリカ人のパートナーと再婚。
<お互いが成長し合える関係>を保ちながら、<自分達らしいライフスタイル>で生活を始める。
広瀬のライフスタイルはとてもストイック。
毎朝5時起床。基本的に、午前中は、ピアノや歌唱、オーケストレーション等の練習、技術向上の時間。
楽曲制作や、スタジオ作業などの外部仕事については午後から取りかかるように努めている。
また、どんなに忙しいときでも週3回は必ずジムへ行くように心がけている。
食生活も基本はマクロビオティック。玄米菜食を中心とした自然食。
趣味も多彩で、[読書][セミナー参加][散歩][工場見学]と、幅広く好奇心旺盛。ボランティア活動にも参加、視覚障害者団体ダイアローグインザダークや、ホームレス支援のサポートもしている。
自ら校長として活動しているボイススクールDo Dreamでは講師として、さらに近年は、福岡女学院大学の客員教授としても、さまざまな立場の生徒に対し、歌の素晴らしさを教えている.
2007年よりピアノと広瀬自身だけの弾き歌いコンサートツアー「香美別邸」を開催。以来、毎年恒例となり、彼女独自のパフォーマンスに磨きをかけている。得に、コンサート最後に演奏する「DEAR」は、命を削りながら歌っているようと、どの公演も観客の涙にあふれている。今後はこの「香美別邸」を活動の核としながら、さまざまなスタイルのライブ活動を精力的に行っていく予定。将来は日本、アジア、世界で幅広く活躍、演奏できるライブパフォーマーになりたいと考えている。
2009年7月、ブログ「心とろける音楽の時間」を開始。また、8月にはTwitterにも参加し始める。Twitterでは彼女の天然キャラクターが親近感を呼びブレイク。瞬く間にフォロワー数急上昇。日本でtwitterを広めたアーティストとして脚光を浴びる。
さらには2010年5月、動画チャンネルU-stream にも進出。U-streamにて 「Kohmi Channel」という独自のサイトをオープンし、その中で、日本のメジャーアーティストとしては初めて、「Friday kohmi」という音楽エンターティンメント番組の放送を開始。広瀬香美の生演奏満載の番組となっており、まさに広瀬香美セレクトショップ番組。U-stream では人気番組に育っている。このように2009年からは得に精力的に新しい事に挑戦しており、今後の動向に目が離せない。
毎日jpでの音楽評論「大人の音楽の時間」、週刊アスキー、女性自身、CREA、Cafeglobe、等の連載も多数。また、音楽プロデュース業/楽曲提供に関しても、これまで以上に積極的に行っており、また韓国・台湾を含むアジア圏を見据えて活動を拡大、長年の夢であるアジアのアーティストたちとのワールドツアーの実現を目指している。
人生にはいろんな出来事があるけれど、できるだけ「微笑んで」生きていきたい。
「あなたの「微笑み」が私の希望であり、私の「微笑み」があなたの希望となりますように。」
「私は音楽を通して「微笑み大使」を目指しています!」
これが、広瀬自身の生き方や音楽を通して溢れ出る一貫したメッセージである。
このバイオグラフィーはアーティスト本人またはその代理人から提供されています