足利事件の本を書くことは、他の仕事と掛け持ちではとてもできなくて、矢吹俊吉さんの実家が所有する茨城県新治村のミカン畑小屋に籠もり、1年近く掛けて執筆をしました。最初、段ボール5箱あまりの取材資料に目を通し、2ヶ月たった頃に全体の構成案を作り上げました。その際、打ち合わせに訪れた草思社の担当編集者・藤田博さんに、僕は、センチメンタルなある思いを短い文章をしたため、それを、この本の原稿のゴールにしたいというようなことを話しました。同時に、本を書き上げたときには、その文章を捨てられるような原稿が書けたらいいなぁ…と口にしたものです。
そして、すでに頭の中にあった文章を二つに割って、冒頭の数行だけを原稿用紙に書いて、ヨーイドンとばかり迷走原稿をスタートさせました。その前文は、こんな文章です。
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(たった数秒の間かいま見ただけで、目を背けてしまった花がある。きっと、生涯忘れることはないだろう。あの橙色の小さな花は、なんという花であったのか。)
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十ヶ月後に脱稿し、その原稿を藤田さんに渡したあと、読者には必要はない話だと感じた僕は、それでも頭の中にあった残りの数十行を書いてみました。それが、次の文章です。
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(僕が初めて真美ちゃんの遺体が捨てられた場所を訪れたのは、事件発生から丸4年が過ぎた五月下旬のことだった。一帯に葦が生えた渡良瀬川の中州の中で雑木が茂ったそこは、四方を中低木に囲まれて道もなく、人は立ち入りそうもない場所だった。
警察の現場検証の図面を手にした僕が、おそらくここであろうと見当を付けていると、同行した月刊現代の編集者・山岸浩史さんが、五メートルほど離れたニセアカシアの下で声をあげた。
「こばやしさん、ほら、あれっ!」
僕は彼の側に近づくと、指差す先を見た。日中でもほの暗いそこに、三十センチくらいの背丈の可憐な花があった。
「ほかにはどこにもないのに、なんで一輪だけ、こんなところに咲いているんですか?」
ただの偶然に山岸さんが感じた忌みを、僕は口にした。
「ここに捨てられてたんだよ」
内心の動揺を隠すためだったかもしれない。僕は、その花に向かって、殺された女の子の名を呼んだ。
「ひえー、やめてくださいよ…」
裏返った声で山岸さんが、あわててその場を立ち去ると、僕も従った。
この本を書こうとしたものの、僕は何度も投げ出した。そんな時、目を背けたあの小さな花が思い浮かんだ。
たぶん、あの日から、そんなところに花が咲いていたよと、誰かに伝えたかった。)
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僕が足利事件をあのような詳細な内容で書いたのは、冤罪事件であることを司法関係者に提示するためでした。一般の読者にとって、不要と思われる細々した情報を執拗に書き込んだ内容は、読み物の作品としては重く冗長すぎるものだったでしょう。でも、あえて法律の素人を承知の上で、被告無実の論証文を書いたのは、この捨てた文章の最期の一行にある思いでした。真美ちゃんの実名を出したのも、こんなセンチメンタルな感情からだったように思います。
この無用の長物に思われる本をお読みいただき、読者の方には深く感謝いたします。