野ばらが好きだ。
そこには美しさがある。既成の価値観に対して諧謔精神とやらで対抗する強さがある。野ばらの前では、文学はギャグになってしまう。
ところが野ばらは、それによって自らの居場所そのものを破壊してしまった。破壊のスタイルが野ばらの公式として確立してしまい、野ばらの定式化したいわば出来レースとしての破壊は、そのものがもはや自己のパロディと化してしまっていた。
野ばらを愛する僕らは、破壊者としての野ばらを求めすぎてしまったのではないか。どこかコンセプチュアルアートのようなものとして、野ばらそのものを欲望してしまっていはしなかったか。彼の逮捕すら、僕らは欲望していたのではないか。野ばらはサービス精神が旺盛なので、欲望に過剰に応えてくれてきた。だが同時に、どこかでそんな自己を再構築することを切実に必要としていたのではないか。
野ばらは本作品集の中で、作家としての自己を解体し、成分として提示している。
自らの、「乙女のカリスマ」ではない作家としての力量を量ろうとしている。
それぞれの短編たちに物語としての強度はない。また残念ながら、以前の作品をただ短くしたような、作業として書かれたようなものもここに含まれてしまっている。
が、最近の、見た目は違えどみな同じ味のする長編たちに比べればずっと純粋な野ばらの真摯な創作への思いが凝縮されている、ように思う。天秤ばかりの前に並べられた薬包紙と薬品と。新たな再調合を経て、いずれこれらの野ばら成分の中から再び以前のような強度を持った作品が表れることを願う。