出版社/著者からの内容紹介
昭和26年(1951年)サンフランシスコ・シールズのオドール監督に招かれて、セ・リーグの代表的バッター川上、藤村、小鶴各選手と、ピッチャーで杉下投手がスプリングキャンプに参加した。3A、大リーグに好投した杉下投手は、キャンプ中頃から後半にかけてアメリカからのスカウト攻勢に遭うが…。
内容(「MARC」データベースより)
50年以上前に、野球の本場アメリカからスカウトされたことがある著者が、1951年にキャンプのため渡米したエピソードを中心に、その野球人としての経歴をまとめる。
出版社からのコメント
53年前、野球の本場アメリカから破格の条件で スカウトされた日本人ピッチャーの話
著者からのコメント
本書の出版の際し、序文を寄せてくれた長嶋茂雄氏が、脳梗塞で緊急入院された。 幸い、順調に回復しているようだが、一日も早い全快を願って願ってやまない。
著者について
1925年(大正14年)東京都生まれ。帝京商、明大卒。1949年(昭和24年) 契約金50万円で中日入団、エースとして活躍。1951年(昭和26年)米球団、 サンフランシスコ・シールズのモデスト・キャンプに参加、メジャーリーグ相手に 好投、スカウト攻勢に遭う。1954年(昭和29年)フォークボールを駆使して 巨人を破りリーグ優勝、続く日本シリーズで西鉄も破って日本一に輝く。現役引退後、 中日監督、阪神コーチ・監督、東京コーチなどを歴任。第1期長嶋巨人2年目の1976年 (昭和51年)、ピッチング・コーチとして投手陣を立て直して優勝。1993年(平成5年) 西武コーチ。現役通算525試合215勝、防御率2.20、20勝以上6回、最優秀選手1回、 沢村賞3回。1985年(昭和60年)野球殿堂入り。1995年(平成7年)スポーツ功労賞受賞。 現在、野球解説者。東京西南ロータリークラブ会員。
抜粋
中日のチーム事情から三十三歳で現役を引退した。その後、中日で二度、阪神で一度、 監督に就いた。チャンスを与えてもらったことに感謝するが、正直言って、監督としては 苦い思い出のほうが多い。私はコマを動かすことより、一つのものをじっくりつくり上げて いくことのほうが好きだ。指揮者として勝った、負けたを生きがいとする人もいるが、 私には向かない。色紙に「何か一言を」と頼まれたときは、「努力」としたためている。
もう少し気の利いた言葉がないかと考えたこともあるが、現役時代も監督時代も、 がむしゃら一途でやってきた私にはこの言葉がいちばんしっくりくる。愚直な生き方 なのかもしれないが、連れ合いを早く亡くし、苦労して子供たちを育てた母を見てきた 影響も、多分にあると思う。私は傘寿を迎える年齢になったが、これを機会に、 行きつ戻りつしながら生きてきた道を、少々たどってみようかと思う。
もう少し気の利いた言葉がないかと考えたこともあるが、現役時代も監督時代も、 がむしゃら一途でやってきた私にはこの言葉がいちばんしっくりくる。愚直な生き方 なのかもしれないが、連れ合いを早く亡くし、苦労して子供たちを育てた母を見てきた 影響も、多分にあると思う。私は傘寿を迎える年齢になったが、これを機会に、 行きつ戻りつしながら生きてきた道を、少々たどってみようかと思う。