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今、読んでみると幸福の王子の後に続く
「ナイチンゲールと薔薇」この二つは共通点が
いくつかあるにも関わらず見返りを求めた者と求めなかった者。
神の手による救いの手が差し伸べられた者とそうでない者の
差を思い知らされもします。
何故ワイルドはこの二つの作品を最初の童話集に収めたのか?
同じ代償を支払う二つの作品を続けている辺り?
とても気になる所です。。
与えること、与えられることに不慣れな私たちが少しでもその場所に近づけますように。。
『ナイチンゲールとばらの花』、『王女の誕生日』の2話はそれぞれ、小さな小さな叶わぬ恋の物語である。
童話というにはあまりに辛辣で、恋愛小説というには心踊るような空想からあまりにかけ離れてはいるが...。
しかし、命を賭したはずの恋によって悲観しか得られなかったり、恋に踊って手痛い失敗をした経験を、皆お持ちではなかろうか?
ナイチンゲールが、学生の少女への想いのために血で染めたバラは、花を好むと謳いながら実際は花よりも宝石を好む少女のために打ち捨てられる。
一方こびとの心臓は、恋に一人踊っている彼自身の醜さに気付いたとき、その醜さに耐えかねて動きを止める。
私たちも、度々花より宝石を好み、成長の過程や熱い想いよりは目の前の結果や外面的なものを選択する。
そして時には自身のナルシシズムの醜さに愕然とする。
そういった現実を肯定するでもなく、かといってはっきりと否定もせずに、ワイルドはチクリと私たちの胸を刺す。
どこか一段高いところから乾いた言葉を投げかけてくるようでいて、実際にはウェットなストーリー。
この魅力は、どことない疎外感を感じる現代にこそ実感されるものではないだろうか。
今様の希薄な関係性に耐えられない人、もしくは自分の隣にいてくれる人に対する満足を知らない人々にぜひ一読を薦めたい。
子どものころ読んでいた絵本を探し出し比べてみると、なるほど、子ども向けのは王子とツバメの愛の語り合い・キスシーンがカットされている。少しネットで調べてみると、どうやら子ども向けのものには意図的に改変(カット)されてる箇所があるらしかった。
子どもの時に読んで思ったことは、「王子って勝手なやつ。ツバメは可哀想。」だった。恐らくは著者の意図する「他人への慈愛、思いやりは素晴らしい」ということはあまり私には伝わらなかった気がする。子ども向けではその描写はカットされてしまっているが、この童話は王子とツバメの愛があってこそ成立するものなのだと思う。
もし、子ども向けの改変されたものしか読んだことがない人がいたら、ぜひこの本を読んでもらいたい。ひょっとしたら、昔とはまったく違う善い方向への感想が持てるかもかしれない。私のように。
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