最近集中して読んだ平家関係の文庫・新書の中では、本書が本文275頁ながら内容の密度の濃さには驚きであり、時間をかけて要点はノートに書き留めながら、じっくりと読んだ。類書の中で圧倒的な存在だ。また厳島神社の舞楽「蘭陵王」の表紙写真が非常に印象的だ。院近臣伊勢平氏の台頭で平正盛、忠盛から始まり、清盛死去、平氏滅亡まで、兎に角その記述内容の質・量には感激する。清盛絡みの事象に関し、必ず理由や原因が詳しく説明され、深く理解することが出来た。祖父の正盛が備前守、父の忠盛は越前守(23歳)の時の元永元年(1118年)生れ、養和元年(1181年)没(亨年64歳)の清盛の昇進振りが興味深い。1129年数え12歳で従五位下から、1160年43歳の時に平治の乱の際の六波羅行幸の恩賞で正三位、父忠盛の夢だった公卿昇進を実現した。1166年11月には内大臣、1167年2月11日に太政大臣昇進。自由な立場で政治的な活動を行おうと同年5月17日辞任。1179年の治承三年政変で後白河院政を全否定し幽閉、関白基房は更迭し、平氏の権威を確立した。王権の中枢を近親で固めたが、高倉天皇は19歳で病弱、政治力不十分、治天の君として政務を主導する権威も能力も無い。関白基通は政務に未熟、中・大納言という議政官の経験がない。嫡子宗盛は何かと清盛に反発し、強力な政務遂行能力は望めない、という状態だ。遷都・還都も興味深い。清盛が強引に福原遷都を断行したのは、(1)興福寺・園城寺・延暦寺等の権門寺院の悪僧に包囲された京は極めて危険、(2)福原周辺は平氏一門・家人の勢力が囲繞、(3)福原は地形的に防禦に有利な難攻不落の要害の地、(4)高倉・安徳王権の成立が皇統を巡る対立・抗争の止揚を意味し、恒武天皇に倣い新王朝宮都の新規造営を目指したもの。清盛の永年の根拠地、軍事拠点、日宋貿易の舞台の国際都市、福原が最適だった。京への還都は清盛初めての挫折だろうが、源氏追討と遷都の両立は困難と判断、苦渋の決断だろう。清盛自身の死は無念の最期で、院政復活後の後白河院の行動を抑圧出来る人材不在、絶対に許せない仇敵の頼朝への怨念、この気懸りは如何ほどであったろう。