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最も参考になったカスタマーレビュー
22 人中、19人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
やっと納得出来る清盛に出会いました。,
By coolcat69 "coolcat69" (千葉県) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 平清盛の闘い―幻の中世国家 (角川叢書) (単行本)
もし、それが本当だったら、何故、清盛はあそこまで上り詰めることが出来たんだい? そう言いたくなるような清盛像ばかりでうんざりしていたところでした。平治の乱、そして晩年に、近江で起きた源氏の反乱で見せた手際の良さ、 福原遷都の失敗で挫折したかのように思われていた新都構想が、南都焼き討ち、平安京の再編成という形で着々と実行されていたこと、鎌倉幕府の守護、地頭を先取りしたような平氏総官、総下司の設置・・・・。 清盛は武家でありながら藤原氏の真似をしただけで、新しい政権構想を持ってなかったという通俗的理解を覆す斬新な記述にあふれ、なるほど!の連続です。 欲を言えば、保元の乱の真実にも肉薄してほしかった。平家物語に書いてあるような、まぬけな戦の仕方をしたら、勝っているわけがないし、上皇側は、清盛が担当した戦闘地点から崩れたのも確かなのですから。
8 人中、7人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
偉人の業績を知る,
By えり (愛知県半田市) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 平清盛の闘い―幻の中世国家 (角川叢書) (単行本)
平家といえば,「平家に非ずんぱ人に非ず」など豪語しながらも源氏一門にアッサリと討たれた挙げ句,後世には「驕る平家も久しからず」など揶揄されるに至った一族という,あまり良くないイメージを抱く人が多いのではないだろうか.確かに平家一門の中にはそういったイメージに相当する人物もいたが,平清盛は別格である.本書を読むと,本当の意味での武家政権を確立しようとしたのは,源頼朝ではなく平清盛であったことがわかる.また本書には一切書かれていないが,清盛は南都を焼き討ちすることで,今でいう政教分離までをも見据えていたのではないかとも思う.さらには福原遷都が神戸を国際貿易港へと進展させる最初のきっかけとなったことは,本書で初めて知った.もちろん,福原遷都の意義はそれだけではないので,詳細については本文を読んでいただきたければと思う.何かと批判の多い遷都についても,本書はわかりやすく解説してくれている. 本書の最後に記載されているように,清盛の構想が現実のものとなるのは,清盛の死から二世紀後の足利義満時代である. あまりに時代を先取りし過ぎた英雄,それが平清盛ではないだろうか.
5 人中、4人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
文庫でこの密度濃い詳細な記述に大満足。,
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レビュー対象商品: 平清盛の闘い 幻の中世国家 (角川ソフィア文庫) (文庫)
最近集中して読んだ平家関係の文庫・新書の中では、本書が本文275頁ながら内容の密度の濃さには驚きであり、時間をかけて要点はノートに書き留めながら、じっくりと読んだ。類書の中で圧倒的な存在だ。また厳島神社の舞楽「蘭陵王」の表紙写真が非常に印象的だ。院近臣伊勢平氏の台頭で平正盛、忠盛から始まり、清盛死去、平氏滅亡まで、兎に角その記述内容の質・量には感激する。清盛絡みの事象に関し、必ず理由や原因が詳しく説明され、深く理解することが出来た。祖父の正盛が備前守、父の忠盛は越前守(23歳)の時の元永元年(1118年)生れ、養和元年(1181年)没(亨年64歳)の清盛の昇進振りが興味深い。1129年数え12歳で従五位下から、1160年43歳の時に平治の乱の際の六波羅行幸の恩賞で正三位、父忠盛の夢だった公卿昇進を実現した。1166年11月には内大臣、1167年2月11日に太政大臣昇進。自由な立場で政治的な活動を行おうと同年5月17日辞任。1179年の治承三年政変で後白河院政を全否定し幽閉、関白基房は更迭し、平氏の権威を確立した。王権の中枢を近親で固めたが、高倉天皇は19歳で病弱、政治力不十分、治天の君として政務を主導する権威も能力も無い。関白基通は政務に未熟、中・大納言という議政官の経験がない。嫡子宗盛は何かと清盛に反発し、強力な政務遂行能力は望めない、という状態だ。遷都・還都も興味深い。清盛が強引に福原遷都を断行したのは、(1)興福寺・園城寺・延暦寺等の権門寺院の悪僧に包囲された京は極めて危険、(2)福原周辺は平氏一門・家人の勢力が囲繞、(3)福原は地形的に防禦に有利な難攻不落の要害の地、(4)高倉・安徳王権の成立が皇統を巡る対立・抗争の止揚を意味し、恒武天皇に倣い新王朝宮都の新規造営を目指したもの。清盛の永年の根拠地、軍事拠点、日宋貿易の舞台の国際都市、福原が最適だった。京への還都は清盛初めての挫折だろうが、源氏追討と遷都の両立は困難と判断、苦渋の決断だろう。清盛自身の死は無念の最期で、院政復活後の後白河院の行動を抑圧出来る人材不在、絶対に許せない仇敵の頼朝への怨念、この気懸りは如何ほどであったろう。
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