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5つ星のうち 4.0
文武天皇即位から桓武天皇即位までを扱うシリーズ日本古代史4作目。,
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レビュー対象商品: 平城京の時代〈シリーズ 日本古代史 4〉 (岩波新書) (新書)
文武天皇即位から桓武天皇即位までを扱うシリーズ日本古代史4作目。律令政治が中央だけでなく地方でどのように展開されたか、租庸調の税制はどう実施されたか、唐・新羅・渤海との外交関係の推移、等の事項に頁を多く割き、平城京の時代をその社会基盤から解説した本だ。 相次ぐ政変も扱っているが、その頁数は少ない。政治指導層の主導権争いに関心のある人には、他の本、例えば「天平の三姉妹」を薦める。 唐に学び、唐に倣おうとした時代だった。即ち、天皇を中心とする中央政府に、隼人・蝦夷といった列島内の周縁の人々、そして外国である新羅・渤海が朝貢するスタイルをとろうと必死だった時代。 著者はあとがきで、「文字をあやつることをおぼえ、自我が育ってきた時代」という意味で日本の少年時代だと総括するが、「少年時代」という言葉はこの時代の政治・社会の特徴をよく捉えており、著者のこの時代に注ぐ視線の温かさを感じる。 欲をいえば、道鏡事件等の記載があっさりしすぎている。社会基盤に頁数を割く関係上仕方がないとしても、称徳天皇が道鏡を中継ぎの天皇として天武・持統の皇統を守ろうとしたという説に簡単に触れても良かっただろう。
8 人中、5人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
唐には低姿勢、朝鮮には威圧的な倭国,
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レビュー対象商品: 平城京の時代〈シリーズ 日本古代史 4〉 (岩波新書) (新書)
2010年は平城遷都1300年ということで、奈良には全国各地から多くの観光客がやってきた。その多くが平城京跡を眺めたり、当時の国宝級の美術品を眺め見るという「修学旅行的」観光がその多くの目的であったはずだ・・・・・本書は当然ながらそのような美術関係の歴史書ではない。興福寺さんの阿修羅像の写真すら出てこない・・・・・。 平城京の時代は、著者に言わせば、(というより古代史家によればパラダイム化されているようだが)、それより以前の時代の国家や社会のありようの必然的な展開の結果として説明しつくされるものではないこと、また、それ以後の時代から規範とされることが少ない時代であるということ、のようだ。主に唐との戦いに備えた戦時体制の時代であったというのだ。 戦時体制であるから、国民を支配する技術はすこぶる発達した。代表的なのが、租・調・庸の租税体系であり、土地・田畑を管理する条里制、土地把握システム、官営の高利貸制度と著者が言う公出挙(くすいこ)、各種法律の施行等々。 本書で強調されて書かれているのが、大陸の強国・唐の制度をもとに、というかそのまま真似をして、日本の政治・社会のシステムに取り入れているという点だ。武則天の時代に流行った四字年号を速やかに取り入れることまでやっている。 また当時の女帝は中継ぎの天皇として登場したということを知るのも、これまた興味深いことである。 本書は、文語文をそのまま記載している箇所がいくつかあるので、現代語訳に慣れた読者には少々読みづらいところがあるかもしれない。内容的には難しいが、中身は濃くレヴェルは相当高い。高校程度の教科書には載っていないことがどんどん出てくるので、目からうろこが落ちることしきりである。
10 人中、5人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
学者さんにしては、バツグンに文章がうまい!,
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レビュー対象商品: 平城京の時代〈シリーズ 日本古代史 4〉 (岩波新書) (新書)
《吉田孝は七〜八世紀を「日本歴史の青春時代」と読んでいるが(『飛鳥・奈良時代』)、平城京の時代は、文字をあやつることをおぼえ、自我が育ってきた時期という意味では、むしろ少年時代−ちょうど興福寺の阿修羅像に面影を伝えるような−と呼んだ方がよいかもしれない。二度と戻れない少年時代を懐かしがるか、ほろ苦く思い出すか、思い出したくもないか、人それぞれだろうが、平城京の時代が、思い出すよすがに恵まれた、日本で最も古い時代であることは間違いないだろう》という結びも含めて、この坂上先生というのは、このシリーズの中では、抜群に文章が上手い。《余談めくが、六国史の中でどれが好みかと古代史の研究者に尋ねてみたら、恐らくその大半が『続日本紀』と答えるだろう》(p.14)というあたりもなかなかの書き手だと思いました。この前の時代は、大化の改新、白村江の戦い、壬申の乱と激しい動きがありましたが、奈良時代となると、目立つのは長屋王の変ぐらいで、唐の安禄山の乱に乗じて計画された仲麻呂の新羅征討もすぐに沙汰やみになるなど、「なにごともなかった」ような時代でした。そして、この時代は土臭い豪族が洗練された貴族に転身した時代でもあり(p.222)、人から土地へと対象を転換することによって深部まで律令国家の支配が及ぶことになった時代でもあったようですが、そうした時代をたんたんと語ります(p.228)。 日本では多くの成人男子を一定期間ただ働きさせることができる状況にはなく、「庸」には、その代わりに地方から中央に差し出された郡司の肉親たちの仕送りという意味もあった、というのに驚きました(p.71-)。さらに、「調」は国造が大王に献上していたミツギモノの後身だった、というのは初めて知りました(p.88)。
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