下巻(文庫版)に向けた前哨戦とも云うべき位置付け。「明治天皇すり替え説」、考えれば考えるほど興味深い。いかにもあり得そうな気がする
「本物説がいつも苦境に立たされるのは、本物の立証は困難だが、贋物だと騒ぎ立てるにはちょっとした不備を突けばいいだけだからだ。そこには百倍のハンデがある」(63頁)。
「つまり明治天皇は北朝系だ。そして後醍醐は南朝。骨肉あい食む憎っくき敵どうしなのだ。にもかかわらず北朝の明治天皇は呪うどころか、南朝の後醍醐を誉めそやし、あまつさえ吉野神宮まで建ててやったのである。合点がいかない。仇にこんなことをして、明治天皇は先祖にどう言い訳するつもりなのか」(227頁)。
「武士どうしが戦うためには、自分たちの天皇を探し出してきて、我こそは謀叛ならず、正統だと権威付けを行なってから戦うのは常識なんです。幕府が北朝の孝明天皇なら、反幕府勢力はどうします?」(270頁)
キリスト教排斥の理論武装を大隈重信に授けたのがフルベッキであるとのコメント(236〜240頁)や新田義貞の墓が福井の称念寺にあり、藤島神社(建武の中興十五社の一)にも祀られていること(272頁)、佐賀の乱(役)の発端と幕末の江戸薩摩藩邸焼き討ち事件の類似性(283頁)など、興味深い指摘も満載である。その文体は荒削りだが、中心命題に向け読者をグイグイと惹き付ける魅力に富んでいる。