故吉村昭氏や中村彰彦氏の歴史の事実に迫ろうとする知的営為に触れると、裁判官や歴史家が行う事実認定や心証形成には、共通点があるように思える。いずれも証拠資料の選択、証拠資料が置かれた状況、事件の前後の関係者の位置、内容の合理性と信憑性、当事者でなければ知り得ぬ秘密の暴露、細部の妥当性。そういったものを、関連する証拠や陳述、証言とすべて突き合わせて、起こりえた事件を想定する。また、それらによって自らの心に心証形成されてくるものまでーー一種の自己分析と言って良いがーー偏りがないかどうか考察する。そして、ほぼ、間違いない事実と思われるものを「事実であったであろう出来事」「法律上の事実」と認定する。
読者が、歴史小説家の書く物を信用するか否かは、こういった作業が、行間から漏れてくるときなのである。その意味で、この書物は、中村彰彦氏の小説以前の歴史家としての歴史考証の現場に読者を誘うものである。
この本の内容は「龍馬暗殺」「松平容保はなぜ京都守護職に任命されたか」「孝明天皇は病死したのか」の三つである。いずれも幕末を語る上で避けて通れない論点である。例えば、「坂本龍馬」暗殺については、著者は、「武力討伐」を決意した薩摩藩、つまりは西郷隆盛の強い意志と、その「殺害計画」に深く関連した高崎正風のインテリジェンス工作に着目している。高崎自体、会津藩士と歌の道で交流のあった自分が、薩摩藩と会津藩(手代木直右衛門)との非公式の接触に重要な役割を果たしている自覚はなかったかも知れない。敵味方を超えて、「見回り組」の佐々木只三郎(手代木の実弟)を武と歌の両道に優れた武士として敬意を持って交際していただけである。同時に、土佐の「才谷」と名告る正体不明の男に何の共感も無い。何か予感めいたものはあっただろうが、その男の居場所を漏らしたことが直接「龍馬殺害」に繋がっていく必然性までは認識できなかったに違いない。そのあたりは、かつては同盟関係にあった西郷と手代木のあうんの呼吸であった可能性が高い。
「孝明天皇毒殺事件」については、著者は、研究と考察の手順を示唆して、結論は述べない。状況から判断すれば、岩倉具視の存在があり、宮中の様々な思惑と伝統が引き起こした事件と考えるのが妥当なのだが、証拠調べは永遠につかないことも明瞭であり、著者は読者に対して「調べたいなら、このあたりをどうぞ」と既に物故していて調べようもない多数の「容疑者となりうる参考人」一覧を示して微笑して見せる。
この書物は中村彰彦という歴史小説家の考証と考察の深さを如実に示すものである。