良くある戦争証言ものと思ったが一気に読み終えてしまった。大いに評価するという良い意味であるが、軽いのである。どこか興味を持った国の、興味をもった悲惨な出来事をルポタージュ目線でその経験者(被害者という感覚でなく)から話を聞くかのような、純粋な興味の対象として客観性、距離をおいて淡々と話を進めるやり方に、逆にある種の被虐的好感を思える。悲劇とはこうあるべき、悲惨であるべきという思い入れなく、相手が言いたいことより自分の聞きたいことを前面に出している。戦争証言ものではなかなかこうは出来ない。あの戦争を既に歴史上の出来事として理解している、理解しようとする著者の年代の特権であろう。その第三者的アプローチに隔靴掻痒のもどかしさを覚えるとともに、一つの戦争体験の風化を何故か事実として受け入れる安堵感すら覚えてしまう。ただ、それは多分証言者達が、戦争に翻弄されつつも自らの意思でそれなりの長い時間を生きてきた、ということが大きな理由であろう。戦争の真の悲惨さを語れるものは死んでいった者のみかもしれない。