太平洋戦争から50年、敢闘する前線兵士を称揚しつつ、一部の将校や作戦参謀をけなす本にはことかかない。
その多くは、主に帝国陸軍の政治への口出しから恫喝、更には、辻正信、富永恭次など、陸軍参謀・将官個人への
悪口を言い募り、歴史的教訓を引き出すには今ひとつと思う読者は多いのではないか?
明らかに卑怯な行動、高慢な振る舞い、対面を取り繕ったとしか思えない命令への固執を示した参謀は
いたのであろうが、部下を全滅必至とみなされる戦場に送り出すようなヒステリーばかりであるかのような
叙述は聞き苦しいばかりでなく、戦線全般の問題の説得力にはならない。
過去の失敗を一部の指導者のヒステリー状態に帰することは勿論のこと、
それを産み出す組織の性格に帰する論調から得られる教訓は限られると思う。
(さすがに、山本七平氏などは(参謀/辻正信などの)問題のある個人を一方的にけなすことはせず、
彼らを戦時の英雄のみならず、戦後も国会議員として取り扱ったりする「周りの日本人」の精神について論じている。)
本書にも「陸軍ばかりが悪者になるのは、戦後のマスコミを含めた海軍のシンパのせいである。」という主張がある。
確かにそうした論調の偏りは多くの人が感じるところでもあり、実際に海軍の悪口をもみ消すような動きがあったのかも知れない。
とはいえ、海軍にも悪役を分担させようとする議論の意義は小さい。
本書が優れているのは「実は悪者は陸軍ではなく、海軍だった。」などという暴露物に論議を落ち着かせるのではなく、
「なぜ、海軍は勝てる(或は、容易に負けない)戦をしなかったのか?」という当時の海軍の考え方の歪み、
それを産み出す精神状態に踏み込んでいるところにある。
海軍悪者論的に言えば「海軍は予算が欲しかったから米国を仮想敵に据えたものの、実際に戦端を開く等は考えてもいなかった。」
ということになるが、それだけなら他の書籍にも散見される所見であるし、その後の拙劣な戦略/戦術の説明にはならない。
本書では、更にその遠因を遡り、日露戦争の時点で、日本は近代戦闘に必須な統帥権の一元化を分裂させる
萌芽を抱え始めていたことが指摘される。
そもそも意志を統一させようとするベクトルが働かない二大戦闘組織が、20年もの平時を経てから統一的な総力戦を
行うことにはムリがあろう。
歴史の「なぜ」を考えるのにはきりがないところがあるものの、個人への中傷から指導組織の犯罪探しなどに
止まっていてはならない。
戦争が政治の延長線上にあると認めるならば、その時代の精神状態を産み出した「何か」を考える端緒まで示してもらいたい。
そして太平洋戦争の歴史的意義をも正々堂々と述べてもらいたい。
そういう意味で、21世紀を迎えるにふさわしいこの領域での議論の進化を示し、かつフェアな視点を持つ著作であると思う。