興味深く読み終えることができました。見出しは三木清の歴史哲学と限定されていますが、全体像に迫ろうという姿勢であるようにみえます。同時代人の思想との類似の指摘とか、後代からの評価とか、著者が間口を広くとった研究をする姿勢が表れているように見えます。同情的に流れやすい三木清案内に比して、適度な距離を持っています。時代背景も含めて三木清研究の案内として役立つ著作だと感じました。
ただアマチュアの読者としては不満が多くあります。専門研究としては当然なのでしょうが、膨大な量の参考文献を目を通さないと著者と同等の理解を得ることができないのか、「批判的」視点に立ちえないのか。著者が読者に要求している、言い換えると仮定している哲学的知識(および歴史哲学的知識)のレベルが高すぎるのではないか。三木清-西田幾多郎に特有の言語に慣れ、読み込んでいる者なら理解できるのかもしれないが、アマチュアにはどこが「歴史哲学」の問題であったのか、結局分からない。三木清の著書を順を追って分析しているとされているけれど、分析というより、跡をなぞっているとしか読めない。結論部として、三木のロゴスとパトスの弁証法の批判を「詳述」するとされている部分は、たかだか7ページに過ぎない。しかも批判的言辞の核心は他人の言葉ではないか。この本の帯に掲げて有る「果敢なる挑戦!」が寂しく感じます。