表題作『希望』はオールタイム・ベスト級の中編。恐ろしいまでの完成度。
SF、サイエンス・フィクションは空想科学小説と翻訳され、またスペキュレイティブ・フィクション(思弁小説)であり、わが国においては、すこし・不思議な物語として受容されています。
著者のSFに対する考え方を、
『3.11の未来』に収録された「SFの無責任さについて」と題されたエッセイから引きます。
「思いやりのSF」とは、たんに共感し同情するだけの物語から踏み出し、私たち人間が人間らしい心の能力を存分に発揮することで初めて享受できる、本当に大人のエンターテインメントであるということができる。
この物語は一見美しく、そしてとても難解です。私自身、はっきりエンパシイ(感情移入)出来ているかどうか自信がありませんが、心が動いたことだけは確かです。
希望、を語るインタビュー。語り手は言美という少女。
彼女の養父は重力感というパラメータによってコミュニケーションを計測し、ついにその定性・定量化をはたした医工学者。また、素粒子物理学を極め、世界が決してエレガントではないことを証明した美貌の養母。
少女は父の研究の被験者で、ふたりに軟禁されていた。長期間にわたって。少女は祈った。神に。
インタビュアーの男の前で、彼女は人生を語った。淡々と。そして、彼の眼前で結末をつけた。
エンパシイは,シンパシイ(共感・同情)の立場からすれば、無責任にみえることもある、とさきのエッセイで著者はいいます。もう一つ、引用します。
「他人を思いやるあたたかい心を……」
私たちの神様は、見事な贈り物(ギフト)を私たちに育ててくださった。