「アンチ・オイディプス」以前のドゥルーズの著作の中で、中心的な位置を占める作品である。
翻訳は、非常に読み易く、流動的と言われるドゥルーズの文体を良く活かしていると思われる。
勢いに乗れば、一気に読み進むことが出来ると思う。プラトン、アリストテレス、デカルト、ライプニッツ、カント、ヘーゲル、フロイトといった哲学者が絶えず参照されるが、全てを知っている必要はなく、だいたいこんなことを言っていたな、ということが分かれば良いという程度の知識で十分です。
また、訳者による注が充実していて、読み進める上で非常に参考になります。むしろ、訳者の懇切丁寧な注がなければ、読み切ることは難しかったかもしれません。
スタイルとしては、哲学史を批判的に検討する中で、自身の哲学を展開するという形をとり、全体がニーチェ哲学(運動性、多様性、肯定性、そして永遠回帰)の解釈といった趣きである。
差異が運動を産み、運動が差異を産む、多様性に満ちた、潜在的な、ディオニュソス的な世界・・・
表象=再現前化が、意味、概念、体系を構築する以前の、剥き出しにされた裸形の世界が、世界観として提示される。
そして、プラトン、デカルト、カント、ヘーゲルといった哲学者達が批判的に検討され、同一性の哲学として解体されていく。表象=再現前化の哲学は、差異を同一性に従属させようとするが、同一化される以前、同一性の底には、概念化され得ない差異がひしめいている。
永遠回帰の思想は、選別する思想であり、全てが還帰することによってしか存在しないという世界の中で、同一性を破壊し、そして起源も根拠も破壊し、偶然を、多様を、差異を肯定する。
「永遠回帰は、肯定する力である」p182
「永遠回帰の基体は、同じものではなく、異なるものであり、似ているものではなく、類似していないものであり、一ではなく、多であり、必然性ではなく、偶然である」p197
ドゥルーズの世界観の提示の仕方は、二パターンある。
一つは、過去の哲学者達の考え方を、一つ一つ俎上に載せながら、各個に撃破していく方法だ。
そしてもう一つは、多様体の側から、潜在性から、いかにして差異化=微分化して現実化が起きるのか、という方法だ。
過去の哲学者達(同一性に拠って哲学を確立させた)は、感性から想像へ、想像から記憶へ、記憶から思考へと向かって、構築を行ってきたが、ドゥルーズはそれらの能力の限界を暴露することによって、能力の底に潜在的に潜んでいる、差異を解放する。デカルトが明晰判明な理性に基づいて哲学を築き上げた時、理性の光は何によって根拠づけられていたか?前提を遡って行けば、人間が元々持っている理性を無条件に信頼しているという場面に辿りつく。良識が公平に分配されているというが、良識は、共通の尺度でもって媒体を設定し、中間項を設けて世界を平板化する。p337
カントの認識論は、諸カテゴリーの中で、それぞれのカテゴリーに対応するように、対象を振り分け、一つの固定的なイメージを造り上げなかっただろうか?一つの観念なり概念は、諸能力によって総合的に合成されるのではないだろうか?