「大いなる助走」は文壇を題材とした作品だったが、本作において著者筒井康隆は、文学そのものを、例えば、文学とは何か、文学に存在意義はあるのか、ということを問うている。
この作品に登場する作家達の多くは、それぞれジャンルは違えど著者によって『革新的』作家という立場を与えられている。しかもその『革新的』という枕詞は何度も何度も登場してくる。
読み始めてしばらくは、この登場人物は実在のどの作家をモデルにしているのだろうか、年齢から考えると、笹川卯三郎のモデルは町田康ではなく中原昌也なのかなぁと読み進めていたのだが、そのうち、著者は登場人物達が書いているような作品を全部発表しているのに気付いた。きっと作家達のモデルはすべて筒井康隆なのだ。
作中に
「なあ。最近誰もが何かに反論するばかりで自分の意見を言わなくなったと思わないか」
(中略)
「あれ、誰にでも際限なしにできるし、それが自分の能力だと勘違いしてしまう。ところが今はそれを一人前の評論家や何かがやってるんだ。あれだと自分の意見を言わなくてすむし、反対しているだけでそれもひとつの思想みたいに見えてしまう」
という作家同士の会話がある(p76)。
そのとおりだよなぁと思わず頷いてしまった。そして、その対極にある作家が筒井康隆なのだろう。
文学にたいする憂慮、私怨も含めた怒り。これがホンモノの怒りであるのは著者の過去の行動で証明済みだ。ただ、70歳を越えてもなお、この怒りを持続しているということは、著者はまだ文学に対する希望を捨てていないということかもしれない。
この作家の頭の構造はどうなっているんだろう、と頭の中を覗いて見たくなる数少ない作家筒井康隆の怒りが詰まった『文学作品』だ。