上位私大文学部教授の「生態」なら、著者が今回の本を書く動機にもなった筒井康隆の『文学部唯野教授』(1990)を読めばよくわかる。旧帝大医学部教授の実態は、もっと古い本だが山崎豊子の『白い巨塔』(1965)を読めばこれもよくわかる。前者は筒井らしいドタバタ小説(長老教授たちの利権闘争、取り巻き連中の誹謗中傷合戦)であるにもかかわらず、大学人たちが「これ、お宅の大学で起こった実話が元ネタだよね?」などと探りを入れ合うくらい真に迫っていたのに対し、徹底的な取材にもとづく後者のほうは、教授への階段を昇るためには手段を選ばない主人公と、研究者・医者として高い倫理観を持つライバルとの魂のぶつかり合いを描いた上質のエンターティンメントとして、何度も映像化(韓国でもドラマ化)された。どちらもそれなりに大学の姿をよく捉えていたということだろう。
その一方で、上位国立大学<工学部>教授の生態・実態は、一般人にはあまり知ることができなかった世界なのではないだろうか。
本書はまさに、その間隙を突いてきた作品だと思う。
過去には、元名古屋大学工学部助(准)教授で売れっ子作家・森博嗣の『大学の話をしましょうか』(2005)という本もあった。しかし、森氏は作家として大成功しているために、大学世界にどっぷりとは浸かっておらず、大学に対する見方も覚めていた(結局、これを出版してすぐに大学を辞めて作家専業になってしまった)ので、淡々とした語り口で著者が大学に対して諦めの境地に達していることくらいしか印象に残らなかった(もちろん、この淡々とした文体が著者の人気の秘密でもあるのだが)。そして、自らが所属していた工学部建築学科及び大学院・建築学専攻の名前が消え、社会環境工学科と大学院・都市環境学専攻に名前を変えて、学部が工学部なのに、大学院での所属は工学研究科ではなく新設の環境学研究科にネジレる事態になったことなどに異を唱えつつも、なぜ大学がそんなことをする必要があったのかについてはイマイチよく分からなかった。これは彼が教授でなかった限界なのかもしれないし、知りたいとも思わなかったのかもしれない。
その点、本書の著者は、筑波大・東工大それぞれの一般教養担当と工学部とを渡り歩いた経歴を持ち、さらに東工大では、一般教養担当に一部の工学部門を加える形で新設された大学院社会理工学研究科長も務めた人物だけに、そんな疑問にも簡単明瞭に答えてくれる。
例えば、大学設置基準の大綱化があった1991年以降に、一般教養と専門教育の垣根が取り払われ、全国の大学から教養部が消えたが、それにともなった一般教養教員を収容するべく誕生した「国際コミュニケーション学科」のような学科には、大学院の設置審査に耐えうる「マル合」教官が少なかったので、大学院重点化が始まった頃に、そうした学科とマル合がとれる教官が多く所属する学科とをマゼコゼにして新設大学院を作ったのだ、などといった具合である。
あまりに包み隠さずにいろんなコトを教えてくれるので、各大学から苦情が来ないかとこちらが心配になるくらいだ。
ただし、本書で著者が言いたかったのは、そうした大学裏話ではない。『文学部唯野教授』のような大学ばかりではなく、一流といわれる大学の工学部教授は、みな一様に働き者で、日本の技術立国の屋台骨を支えてきたし、アメリカの大学にも決して負けない、と言いたいのである。
そして、実際にこの本を読むと、他の本で大学がいかにレジャーランドだ、モラトリアムだと叩かれようが、それは文系の話であって、工学部の学生は皆一様によく勉強するし、驚くほど優秀であるということがうかがい知れるようになっている。大学批判本ばかりが多い世の中で、バランスのとれたまっとうな主張が展開されているとは思う。
とはいえ、そんな意義のある本とは言っても、全体を通して読むと、著者の本来言いたいこと(工学部教授は頑張っている!)よりも裏話のほうが大変興味深いだけに、そちらばかりが目立ってしまうのは残念だ。しかし、工学部教授の奮闘っぷりをただ描くだけでは、著者が目指す『文学部唯野教授』の向こうを張って多くの読者を獲得することはできそうにない。それはそれで著者の意図するところではないだろう。工学部というより理系全体の地位向上を狙った毎日新聞科学環境部の『理系白書』(2003)という本もあるにはあったが、大学教授だからこそ書ける話もあるはずだ。
実際、私も大学の裏話を楽しみながらも、真に頑張っている工学系研究者に尊敬の念を抱くことができたし、日本の科学技術政策の問題点も理解することができた。その意味で、読後にやや中途半端な感が残ったとしても、最後まで読者の興味を引きつけながら読ませる力のある本であることは間違いなく、よって星4つの評価とした。
ちなみに、本書と併せて、同じ著者による『すべて僕に任せて下さい』(2009)を読めば、もっと工学部教授の世界がわかるだろう。