非業の生涯を遂げたと謂われる崇徳院を中心に視て『平家物語』、『保元物語』を読み解く。
結果としては、『今鏡』の静寂とした崇徳院を真実の姿とし、物語戦記物で描かれたそれを怨霊信仰、怨霊思想の誕生、発展、結実として読み解いたということになろう。
ポイントは多いが、血書された五部大乗経が存在しないことの証明は逆にできていないし、一方では「祟る本人も魂の遊離を自覚するものであったことがわかる」(87頁)としながら他方では崇徳院怨霊説は当時には全く意識されておらず罪人としか認識されていないとしている矛盾は判断を据え置いていることとあまり変わらないとも言える。
いずれにせよ、この問題を真正面に据えて、人々の意識の次元、精神史としての変遷、遠近法が本質的に徹底しないにしてもそれを何とか採ろうとしてそれを随所に変換点として確認しようとしていることが研究としては画期ものになっている。勿論、それが脳科学や宇宙人説に結び付くことは到底考えられないものの、「本書をもってその端緒とし、これからも人間の心に潜む部分の解明に努めていきたい」という言は、読者にも共有されよう。