キリスト教に「関連」する事柄をあれもこれも取り込もうとしたため、総合的なバランスの欠如した辞典になっている。キリスト教について調べものをしようとした際、本当に知りたいことは何一つ書いておらず、どうでもよい記事、どうでもよい情報がずらずら並んでいるのを見てうんざりした。この辞典によってキリスト教のコアを知ろうとするのは、魚屋に行って冷蔵庫を買おうとするようなものである。
記事内容についても、不正確なものや、あからさまな間違いも目立つ。たとえば、エキュメニズムに配慮したためか、「(東西教会は)その典礼や信仰表現の相違にもかかわらず教義的には本質的な違いはなく」(【教会分裂】項 文責・百瀬文晃)とか、「この問題(引用者註・聖霊の発出をめぐるフィリオクエ論争)は東西教会の重要な相違とは言えない。教父たちも聖霊の発出については、どちらにもとれる発言をしているからである」(【フィリオクエ】項 文責・大森正樹)などとまったくの出鱈目を書いている。
聖霊の発出の教義は、東西教会の重要な相違である。なぜなら、この教義上の相違が解消できなかったゆえに、東西教会分裂に至ったからだ。「教父たち」が「どちらにもとれる発言をしている」という事実は、フィリオクエ問題が実際に東西教会の重要な相違になっていることへの反証にはなっていない。東西教会の教義上の違いはフィリオクエだけではない。教皇権、マリアに関する教義、テオーシス(人間神化)の思想等々(Clark Carlton"The Truth: What Every Roman Catholic Should Know About the Orthodox Church"参照) 。したがって、百瀬文晃の文章は、「その典礼や信仰表現の相違に加えて、教義的に本質的な違いがある」と直さなければならない。
もし、本当にエキュメニズム(教会一致運動)を真剣に考えるならば、東西教会の教義上の違いを率直に認めるところからはじめるべきであり、言葉のごまかしでそれを覆い隠すことは、むしろその精神に反するのではなかろうか。